大麻

なんか世間では「大麻」が燃えているらしい。(近くへ行ってスーハーしたい)
「大麻で逮捕するならタバコを禁止せよ」(池田信夫 blog)
と、いうか。
そもそも話の根底がへん。
大麻と麻薬は違いますよって。大声で言いたい。
ダウンとアップの区別も…ってな話かもしれん。

「日本で大麻が禁止されている本当の理由」(想像力はベッドルームと路上から)

また、
「大麻を合法化してはならないたったひとつの理由。」(frnk*blg)

いわゆる「ゲートウェイ理論」について触れいているのだと思うけれど。「軽い薬物を悪用するものは、重い薬物にも手を出す」という理論がもし正しいとして、ここには大きな視点が抜け落ちている。
つまり、使用者の観点ではなく。供給者の視点を持ってこなければ真の理解には行き当たらないだろう。

大麻」が違法である場合、使用者は違法な手段でそれを手に入れなければならない。そのような手段というのはどこの国でも常習的に犯罪に手を染める者たち(日本でいえば「暴力団」(ヤクザとはまた違ったりする))がルートを握っている。
では、「暴力団」からみた場合。「大麻」の供給ルートを握っているとすると、他の「麻薬」の供給ルートも手に入れることができる可能性が高い。(というか、こういった者たちは金にさえなれば違法であれ何でも扱う総合商社みたいなものだから)ここで「大麻」と「麻薬」の供給ルートが融合する。
そして、「暴力団」にしてみれば依存性が低い(または、ほとんど無いといわれている)「大麻」よりは、依存性が高い「麻薬」を供給した方が客を取り込みやすい。
であるので、末端のバイ人に客が「ハッパある?」と聞くと、バイ人は「もっと良いのもあるよ」と、こう来る。

それに、なんだか日本では「ヒロポン」の頃からアップ系がもてはやされているわけで、アップにもダウンにも緩やかに効く(基本的には緩いダウンだと思うけど)「大麻」よりは、「シャブでハイハイ」の方が「国民性に合っている(?)」のかもしれない。というか、「大麻」を「麻薬」と思っていた人は「シャブ」を初めて食べると「おお、これこそ俺が求めていたもの!」と思うらしい。(ヒトから聞いた話を、ヒトから聞いた話だからね、そこ、引かない)

つまり、「大麻」に手を染めるヒトは「麻薬」にも手を出す。というヒトがいるけれど。そして、確かに日本ではその傾向が強いように思うけれど。上に書いたような供給側の視点からみると何が問題か見えてきませんか?
そう、供給ルートの混在が問題なのじゃないかって気がするんですけどね。
大麻」が合法化されれば、誰が危なっかしいヒト(バイ人)に近づきますか。つまり、「大麻」と「麻薬」の間に大きな「ファイアウォール」が築かれるんですよ。

と、いうか、禁酒法の昔から「非合法集団の糧は何かの禁止」という鉄則があるわけで、いっそ「麻薬」も一定の管理の下で国家運営すりゃあ良いんじゃないかって気がするんだけどね。(トバクも公営にしているんだから)

あ、あとヒトつ。
今年は米国の大統領選挙の年で、オバマが当選して、やれやれって気がするんですけど。毎回、大統領候補については若い時分の「大麻使用歴」ってのが話題になる。
で、ブッシュについてはこんな話があった。
ブッシュ大統領はマリファナ愛好者?(2005年02月23日 03時50分)(ロイター/Excite/Web archive)

で、この記事を真に受けてみると、アル・ゴアは吸引歴を語ったらしい。(こちらの裏を取るのはメンドクサカッタので割愛)

そして、オバマは合法化に前向きらしい。
「オバマ氏 大麻の非犯罪化を支持」に思うこと(大麻取締法変革センター)

タバコが一箱1000円になったら、どこかの山で自家栽培しようかしらん。


あ、もちろん、タバコをね。

国籍法改正、条件付の愛 についてのメモ

国籍法の改正について騒ぎ立てている人々がいるけれども、次のような状況は把握されているのだろうか。

衆議院 法務委員会(平成20年11月14日 (金))

質問者:赤池誠章(自由民主党)
1.国籍取得の虚偽届けに対する刑罰が軽い。
2.偽装認知を防止するためにDNA鑑定を入れるべきではないか。
3.偽装認知を防止するどのような対策を立てるのか。

回答者:倉吉 敬(法務省 民事局長)
1.市町村に認知届を出す必要がある。(また、国籍の取得に伴い、戸籍変更の届けを市町村に出す)この際、虚偽の届けをしたということになれば、公正証書原本不実記載となる。(5年以下の懲役、20万円以下の罰金)
2.(DNA鑑定については割愛)
3.(割愛)

「国籍の安売りだ」とか言っているヒトがいるが、安売りなんだろうか。(自分としては、別にもっと安売りすればいいのだろうと思うけれど)

そういえば、麻生首相の家に「見学」に行ったヒトが逮捕されたって話もあったが。同じ会で、それについてテレビでおなじみ河村たかしが質問を上げている。これについても興味のある方はどうぞ。


昨日のエントリーに書いた「条件付の愛」について。
以前(そうとうの昔)このサイトでも取り上げた「無痛文明論」が掘り下げた議論をしている。そちらに興味のある方は一度覗いてみてください。

「無痛文明論」森岡正博
あえて直接リンクはしませんが、下の方に「第2章 無痛文明における愛の条件」の「内容サンプル」に、「さわり」が掲載されている。


「国籍法改正」について取り上げたので、
「お隣日記」というのが上がってきていて
http://d.hatena.ne.jp/nothingyaruki/20081117
で、この方も「罰則はもう少し厳しくしていいかもとは思う。何を持って軽い重いを決めてるかと聞かれると言葉に詰まるけど、流石に偽装認知しておいて懲役一年以下または罰金二十万ってのはおいおいその程度でいいのかと」
と、誤解をされている。
で、↑この方の取り上げている↓サイト
http://who-voice.jugem.jp/
で、取り上げられているサイト。
http://d.hatena.ne.jp/inflorescencia/20081115/1226728277
え?
タイトルはもちろん、アプローチまで(どなたかに)似ている気がする。

どのような「国」を愛せるか。

田母神論文について考えている。
そもそも、なぜこのような文章が出てきたか。という事に興味がある。何度も読み返して気がついた事がある。というのは、この文章は実は逆から読んだ方が理解しやすいということである。

この文章はおおよそ次のような構造を持っている。

1)日本は中国に侵略していたわけではない。
2)日米開戦も、日本が積極的に望んだことではなく策略の結果である。

3)日本は平和的に(そして合法的に)中国、朝鮮半島、台湾を統治していた。

4)日本の行った先の戦争は止むを得ない戦争、引き込まれた戦争であり、
その「責任」はない。

東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている」


5)「日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない」


と、かいつまんでみればこういったことになるだろう。
結局、この文章は、「私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない」という結語の一言を言わんがための文章であり、その理由は、と、問われれば、上記の(1)〜(3)そして、そもそもの「古い歴史と優れた伝統を持つ」からであると言いたいのだろう。

11月11日に行われた参議院外交防衛委員会の議論も聞いてみると、「自衛官が誇りを持って日本を守れるために、日本のすばらしさを訴えたかった」というような発言があった。(あとで、議事録が上げられたらこの部分を引用にすること)

11月27日 追記
第170回国会 外交防衛委員会 第6号 平成二十年十一月十一日(火曜日)

「はい。日本の国をやっぱり我々はいい国だと思わなければ頑張る気になれませんね、悪い国だ、悪い国だと言ったのでは自衛隊の士気もどんどん崩れますし。そういう意味で、こういうきちっとした国家観・歴史観なりを持たせなければ国は守れないというふうに思いまして、そういう講座を私が設けました。」(田母神)

井上哲士の質問「田母神参考人は「鵬友」の平成十六年三月号の中で、統幕学校では今年の一般課程から国家観・歴史観という項目を設け、五単位ほど我が国の歴史と伝統に対する理解を深めさせるための講義を計画した、主として外部から講師をお迎えして実施をしてもらっていると、こういうふうに述べられておりますけれども、これは事実でしょうか」との質問に対する回答。

つまり、田母神というヒトは、「一般的」に言われるような歴史認識、つまり、先の大戦において、日本は中国に侵攻し、米国に宣戦を布告した。という認識では「国」に誇りが持てない。といっているのだろうか?

特に気になるのだが。日中開戦の端緒(盧溝橋事件)であるとか、日米開戦について。コミンテルンの策謀によって日本は戦争に引き込まれたという議論が通底している。引き込まれたのなら「責任」はないのだろうか?その当時の日本、大日本帝国というのは、このような重大な決断を「主体的」に決定することができなかったのだろうか。

「責任」という言葉は「権限」と表裏一体であるとわたしは思っている。自己決定の機会を与えられていない事柄に、責任を求めてはいけない。しかし、「責任」を引き受けないところに「権限」も「主体性」も生まれはしない。

更にいうと、他との比較という論調も非常に気にかかる。
つまり、日本は軍を中国に進めたかもしれないが、当時の列強に比べてどうか。という発想である。もちろん、こんな発想は幼稚以外のなにものでもない。確かに当時の国際法は現在の国際法、常識に引き比べて問題は多かっただろう。だから、現在の国際法、国際常識に引き当てて、当時の大日本帝国の政策を断じる事は法的には問題があるかもしれない。しかし、そもそも、その当時の問題がある国際法すら逸脱した行為はあったのであるし、事はそのような法的な問題ではなく、倫理の問題をもって語られなければ現在の問題を解決はできない。

つまり、国際法、国際常識自体が自己反省の下、現在の形になったという営為を無視するということに同意するわけにはいかない。

わたしは逆に考える。もしも「国を愛したい」と思うのならば、その「国」が過去にどのような事を為したにせよ、それをありのままに受け止めて、更にそれを乗り越えることこそが「愛する」という事なのではないだろうか。
そうではなく、過去をなかったことにする。または、その過去を歪んで捉えるという行為は、わたしには薄っぺらな愛にしか思えない。
彼の取る結語「私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」はある意味正しいかもしれない。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」とは、ヴァイツゼッカーの言葉であるが、ヴァイツゼッカーは過去を直視し、その「責任」を負うことで、ドイツの国家としての「主体」を取り戻そうとしていると思われる。

それに引き換え、田母神の文章は「責任」を逃れることで「美しい日本」の「無謬」を訴えているだけに、わたしには響く。これは悲しい文章である。


読者の日記 バックナンバー ヴァイツゼッカー大統領演説、戦争責任(2000年07月30日 (日))


ところどころの矛盾。

文章の冒頭にある、「アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである」という記述と。

終盤での「日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない」という記述。


「平和的、合意の上での朝鮮半島の支配」という主張と、

「李垠(イウン)殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった」という記述。

などは、同一の文章の中でどうにも矛盾するのではないかと思われる。

田母神問題 メモ1

秦郁彦発言(週刊新潮 2008/11/13)


(ネットで秦郁彦を検索すると、「秦邦彦」との誤記がゴロゴロ転がっている)

(週刊新潮(2008/11/13)に掲載された秦郁彦の発言については、「田母神サマは、他人のいってることを歪曲する 」の「週刊新潮11月13日号の秦郁彦サンによる田母神サマへの抗議 は次のようなものだ。」において要約が載っている。サクっと見たい方はそちらをご覧ください。

「たとえば張作霖爆殺事件は、関東軍の高級参謀・河本大作大佐によるものだったということが史実として確定しています」
「盧溝橋事件も、論文には劉少奇が外人記者との会見で『現地指揮官は自分だった』と証言したとあります。しかし、そんな会見は存在しません。東京裁判で旧陸軍関係者が”会見があったと聞いた”と語ったことがある程度の、単なる噂に過ぎないのです。会見が行われたとされる時期は国共内戦中で、中共蒋介石率いる国民党軍に首都・延安を追われ、幹部はみな山道を逃げているような時期でした。そんな時に会見など開けるわけがないでしょう」

ここで、「東京裁判で旧陸軍関係者が云々」とあるが、これは誰の事なのか。などについては、どうも
「盧溝橋事件 中国共産党陰謀説」
「タイプ1 <その3> 桂鎮雄氏の証言
桂鎮雄氏 『盧溝橋事件 真犯人は中共だ』 より」
が該当しているようだ。

頭が痛いのは、なにかネットの中では、秦郁彦の検証を無視して、桂鎮雄の論述が一人歩きを続けている。かのような印象を受ける。繰り返し繰り返しこのような言説が流され、その繰り返しの中で(誰が言ったか、であるとか、この中で語られている「記者会見」なるものが本当にあったのなら、その記事は残っているはずだろうが見当たらない。といったような当然の疑問であるとかといったような)ディテールがあいまいになりだんだんと、「語られたこと」(それこそ、「言論の自由」であって、どのような事であろうと語ること自体は問題はない、ただ、それを検証もせずに「事実である」と信じることと、その不確かな「確信」から何等かの行動を起こすとなると、これは大きな問題を引き起こす。行動を受ける方もいい迷惑だが、行動する者にとってはもっと不幸だ)自体に意味が付与されていく。つまり「一人歩き」が始まる。それがすでに始まっているように感じられる。

「私の著書『盧溝橋事件の研究』も論文には引用されています。が、そこで私は”事件の首謀者=中共”説をはっきり否定しているのです。当時、中国には国民党や共産党のほかに宋哲元率いる第29軍などの軍閥があり、日本軍を含めた4つの勢力それぞれについて首謀者だったとする説があるのは確か。しかし、私は著書で、事件の発端は第29軍の兵士が偶発的に撃った銃弾だった、と結論づけているんですよ。それを、私が中共派であるかのように書くのは心外です」

太平洋戦争がルーズベルト大統領の罠だったとする説についても、「学問的には、誰も認めていません」と一蹴する。
ルーズベルトが対日開戦の名分を得るため、真珠湾の太平洋艦隊を日本軍に叩かせて”リメンバー・パールハーバー”を演出したという説は時々現れますが、俗説中の俗説です」
コミンテルン謀略説など、
「日米戦争で漁夫の利を得るソ連の策略にルーズベルトが引っかかったという筋書きですが、”風が吹けば桶屋が儲かる”式の妄想を連ねた話です。そもそも田母神氏がコミンテルンのスパイとして名前を挙げたホワイトは当時、次官ではなく財務省の一部長に過ぎないし、ルーズベルトとハル国務長官がホワイトの関わった財務省案を参考にこそしても、ホワイトがハル・ノートを決めたなんて言い過ぎですよ」
いやはや、田母神氏が提示した新たな「史実」についてはほとんど全否定の趣なのだが(後略)


さすがの(?)週刊新潮も、論文自体については擁護のしようがないといった感じだな。

この記事には中西輝政も発言をしている。ちょっと面白いのでこれも引いておく。

東京裁判以降、日本の戦後史学は自虐史観と呼ぶべき硬直した解釈に囚われてきました。ですから、田母神さんのような方が正しい歴史認識を示されたのは、むしろ大変喜ぶべきことだと思っています」
「そもそも歴史観を述べたものであるはずの村山談話閣議決定することについては、法解釈上の疑問も残ります。政策を閣議決定して共有するのならわかりますが、ひとつの歴史解釈を政府の権力によって絶対のものとし、それ以外をダメだと決め付けてしまっていいのか。それに自社さ政権時にできた談話を、現在の自公政権も継承しなければならないと言うのは、奇妙な法理でもある。こういった流れが広がれば、一種の言論弾圧にも発展しかねません。公務員が村山談話に従わなければならないのなら、国立大学の教員である私など真っ先にクビではありませんか」

村山「トンちゃん」富市は学徒動員で従軍の経験がある。

その「村山談話」も「妄言」であるとか「硬直」であるとかといったような意見やらが散乱しているが、どの程度の人が本文に触れているのだろうか?もしも、これについて発言して、本文にまだ触れていないとしたらその人はちょっと考え方を見直してみる必要があるのではないかという気がする。
こちらに本文がある、そんなに長い文章ではないし、「談話」であって難解な文章でもない。この機会に一度目を通しておくといいだろう。

村山内閣総理大臣談話
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)平成7年8月15日


最後の言葉は「杖るは信に如くは莫し」
「よるは しんに しくは なし」と読み。
「頼りとするのは信義に勝るものはない」というような意味であります。


さて、自社さ政権時に立てられた「村山談話」の「歴史認識」を自公政権においても継承しなければならないとするのは、法理的に奇妙であるとの中西の立論だが、確かにこの「談話」をそのまま継承しているというのは奇妙かもしれない。実は、であるが故に、現在の自公政権において、総理に就任した者に対しては就任時の記者会見などでこの談話に対する態度を確認し、公にしているのだろう。つまり、政権が変化した現在において、現政権は確かにこの「談話」に拘束されない。それが為に現政権の個々の総理大臣に対して確認が取られ、個々の総理は自主的にこの「談話」に準ずると公言するわけである。(第170回国会 本会議議事録
これは、「踏み絵」とも取れるかもしれないが、外交の一貫性という観点からすると必要な措置なのだろう。(この「談話」が外務省のサイトに掲載されているのもそのような(つまり、国内的というよりもより、対外的に意味を持つ)背景から理解される)
つまり、現政権(麻生政権)下において、「談話」は閣内の統一認識であるということには法論理的になんら問題はないわけであり、逆に、現政権がこの「談話」から離脱すべきであると認識したのなら、それを公言すべきである。
麻生太郎個人が、この談話に対してどのような解釈を持とうとしても自由ではある。それこそ思想信条の自由である。しかし、総理大臣としての麻生太郎が、この「談話」を離れ、何等かの政策を行おうとするならば、その時にはこの「談話」に対する否定を公言しなければならない。これが法の論理というものであろうし、それ以前に「ヒトが他人に対して語った言葉に、どのような態度をとるべきか」という実に単純な倫理の問題だろう。

次に、中西は「公務員が村山談話に従わなければならないのなら、国立大学の教員である私など真っ先にクビではありませんか」と述べているが、大学というものと、自衛隊というものの性格をまったく無視した、それこそ「妄言」と言えるだろう。

そもそも大学と言うものは何のためにあるかと言えば「イノベーション」の為にあるのだろう。知を進め、この学、この文化、この社会、そしてこの国の在り方そのものを変えていくのが大学の本来の機能である。その為に大学は最大の自由と自治が認められるべきで、そこで思想信条の自由に拘束を加えると言うことは、この変革を抹殺すると言うことであり、大学そのものの価値をなくすことである。(まあ、そもそも、そのような高邁な理想から現実はあまりに遠いのだろうけれど)(この辺りの問題は、特に東京都立大学の問題とも関わっているけれども、結局、この社会にとって大学と言うのは高校の「次の学歴」という意味しか持っていないのだろう)

翻って、自衛隊と言うのは究極の「国家防衛装置」である。現行の社会、国家を墨守するのが自衛隊の役割であって、その機能分担を請け負う「制服組」は先に述べた「総理大臣としての麻生太郎」同様、厳しい束縛がかけられるだろう。
つまり、思想信条の自由は当然ある。しかしそれでも、それを表明する権利は著しい拘束の下におかれるのである。

例えばこう考えてみよう。実際に日本がどこかの国と交戦状態に入ってしまった。その時、最高責任者である総理なりの命令を「思想信条の自由」であるからと、制服組が受け入れなかったとしたら、もうこれは「組織」の体をなしてはいない。
「事件は会議室で起きているんじゃない」かもしれないが、戦争において会議室の意思を無視して、現場の勝手な判断だけを優先させれば、そんな組織が有機的に活動できるわけはない。
つまり、自衛隊員にも思想信条の自由はあり、それを表現する自由もある。などという考え方は「平和ボケ」以外のなにものでもなく。それを乗り越えて何かを述べたいのであれば、まず、組織から離れて述べるべきだろう。これが筋道だ。


この「自衛隊員の思想信条の自由」についてもうひとつ蛇足を加えるのなら。自衛隊員の合祀問題と言うのがある。

昭和57(オ)902「自衛隊らによる合祀手続の取消等」(昭和63年06月01日)
最高裁判所大法廷 判例集 (第42巻5号277頁)


ここに読みやすい感想がある。

この問題と、今回の田母神問題とを並べると、一部の人々のダブルスタンダードが見えて気分が悪くなる。

劣化しつくした、日本

なにはともあれ、
事に当たっては、オリジナルソースを手に入れろ。

ということで、
田母神俊雄」論文 全文掲載
http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50734794.html

アパグループが公表している?オリジナル??
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

これだけ騒がれている上に、確かこの懸賞論文の最優秀賞だかなんだかなんだよなぁ。
それで、このクオリティかよと言いたくなる。

審査委員長が、カノ、渡部「神聖なる義務」昇一ではこの程度なのもむべなるかな。
というところだろう。

逐次反証してしてみても良いけれども、
それも馬鹿馬鹿しい気がしてきた。

とりあえず上のリンクだけ張って、今日は家に帰ろう。

劣化した?日本

劣化した?日本

あけましておめでとう。×2

まあ、いろいろとゴソゴソやっている。

福田まで政権を投げ出して、「世襲議員立候補抑制法案」まで取りざたされているけれども。
まあ、「格差社会」(=競争力阻害社会)って言われて、その対策の旗を振らなきゃならないってのがオンブ日傘の二世議員三世議員ばかりって話では浮かばれない。

で、次に控えているのがついに出た!って話の「ひょっとこ太郎」ときたら、日本の人材払底もついに来るところまで来たなという感を禁じえない。
野中が(すでに、「議員生命」ってのが無いから)「生命を賭して」「ひょっとこ」を落とすって動いているらしいし、自民党内の各派閥やら、公明党まで水面下では「そのひょっとこの次」なんて事まで模索しているらしいので、この「裏の裏を読むジャンケン」は一体どこでケリがつくのやら。ガキの頃、こうやって「裏の裏」「そのまた裏の裏」って読み相をすると、表面的には至極当たり前の結論に達するという教訓を得たが、この場合もそんな感じになるのかもしれない。

…しかし。

それにしても、昨今の「政策立案能力の劣化」は酷いなぁ。という気がする。

社会保険庁の問題はその最大のものかもしれないけれど。
10年か20年後の後世から「トンでも空想科学」と笑われそうな「環境庁」の設立であるとか。
ミエミエの利権の巣窟、「地デジ」
更には「東京オリンピック招致問題」に
小さいところでは「タスポ」の問題。

なんでも、この勢いで「タバコを1000円にまで上げてしまえ」って意見があるそうだけれど、それを聞いて「闇タバコ」を扱おうって「その筋」の人々が雲南省だかどっかに特使を派遣したとかしないとか。

なんで、こうも「制度デザイン能力」ってヤツがないのかなぁ。

と、つらつら考えてみると。
日本という国で「制度デザイン能力」と覚わしきものがあったって、そういえば田中角栄ぐらいしかいないんじゃないかって気がしている。

「官僚1流、経済2流、政治は3流」とかって言葉もあるけれども、戦後、官僚が1流らしい仕事をしただろうか。「昭和の3大バカ査定」って大蔵省には言葉があるけれど、平成に入ってこの規模のバカ査定は「年度物」になった気がする。
そもそも、戦後の高度経済成長を指揮した。って官僚どもは胸を張るけれど、なんの事はない、朝鮮戦争の特需を契機に、お隣の韓国やら中国でも起こったような生産力の拡大が起きたってだけで、胸を張るその高度経済成長にしても、その影で今問題になっている社会保険の悪癖は「デザイン」されてしまっていたわけであるし、地域社会の破壊という問題やら公害問題。更に、今でも尾を引く食料政策の無策という問題もあるわけだ。そういえば、林業では「杉の植え過ぎ」という制度デザインのミスがあったりもする。
つまりは、この高度経済成長、その後の護送船団方式(経済の破綻、みんなで隠せば怖くない)そして、バブルの崩壊までは、そもそも朝鮮半島の血の上に乗っかった浮遊だったわけで。それなりの常識があれば運営、指揮できたって事だったのかもしれない。

「劣化」というわけではなく、もともとこの程度だったのだろう。

では、もっと優秀な官僚を!
政治家には、選挙制度にスキルチェックの機能を!

って〜トップダウンは有り得ない。

その昔の大蔵省(戦後の繁栄を指揮したってやつら)以上に優秀だったって「陸軍&海軍」が何をしでかしたかって見れば「優秀なやつら」ってものの限界はすぐに底が割れる。

今後もチグハグな制度がポコポコ出てきては、国民生活ってヤツを滅茶苦茶にしていくだろう。

ここで、必要なのは、松岡正剛式に言うならば「フラジャイル」な柔軟性。
佐高信風に言うならば「社会の静脈」
つまり、国民からの突き上げが真っ当に取り上げられる社会じゃないかって気がする。
声を上げるべきだ。ネット内でグダグダ言って(ガス抜きされて)いるだけではなく。もっと具体的に効果がある「イヤな方法」を模索すべきだろう。

公明党民主党が政権をとっても、恥も外聞も無く蝙蝠さんになってくれそうなので、創価学会でも入ろうかなぁ。(アリエナイアリエナイ)

ところで、本日発売の「文芸春秋」は買いだ。
タモリ赤塚不二夫への追悼文を書いている。そのなかで赤塚の葬儀で「読み上げた」弔辞が文章に起こされている。久々に目頭が温かくなる素晴らしい文章だ。

レイシズムの一例−蔑称としての「支那」

支那」という呼称を意識的に使用する人々がいる、その背景には拭いがたいレイシズムの思想と、歴史に対する無理解、または人間というものに対する無知が横たわっている。

「支那」の語源についての考察
(文字飾りはわたしが行った)

(略)
日本の社会が「支那」という言葉を使って中国を軽蔑の意味を込めて称し始めたのは、中日甲午戦争で清が敗れた時からである。一八九五年、清政府は余儀なく日本政府を相手に、主権を喪失し国が恥辱をこうむる馬関条約(日本では下関条約と言われている)を締結して、近代中国のこうむった恥辱は極点に達した。昔から中国のことを「上国」として尊敬してきた日本人は最初は驚き、続いて勝ったあとの陶酔に走り、町に出てデモ行進を行い、「日本は勝った。『支那』は負けた」と狂気のように叫んだ。そのときから、「支那」という言葉は日本では戦敗者に対する戦勝者の軽蔑的感情と心理を帯びたものになり、中性的な言葉からさげすむ意味合いの言葉に逐次変わっていった。十九世紀から第一次世界大戦までのオランダの辞書の中では「支那」に対する解釈は「支那すなわち愚かな中国人・精神的におかしい中国人のことである」となっていた。西洋のその他の辞書では「支那」に対する解釈も大同小異であった。

日本などの外国が「支那」という言葉を使って中国を軽蔑の意を込めて呼称することは海外に在住する華僑の間で強い反感を買った。一部の留学生と華僑は日本の新聞社に投書して、日本人が「支那」という言葉を今後使わないで、その変わり「中国」を用いるよう要求した。これによって、中国の国名の呼称をめぐる論争が引き起こされた。一九〇八年、インドネシア在住の華僑はインドネシアを統治していたオランダ植民地当局に抗議を提出し、「支那」という侮辱的な呼称に反対した。中日二十一カ条条約締結、パリ講和条約調印、「五四」運動以降、中国国内では「支那」という蔑称に抗議するより激しいキャンペーンが巻き起こされた。辛亥革命後、中国政府は日本政府に照会し、中国を「支那」と呼ばないよう要求したが、日本側は拒否した。一九三〇年に、当時の中華民国中央政治会議では決議が採択され、当時の中国の国民政府外交部は日本政府に覚書を送った。決議にはこう述べられている。「中国政府中央政治会議は、日本政府とその国民が『支那』という言葉で中国を呼称し、そして日本政府の中国政府に宛てた公式公文にも中国が『大支那共和国』と呼称されているが、『支那』という言葉の意味はたいへん不明確で現在の中国となんらの関係もないため、今後『中国』を呼称する場合、その英語では必ずNational Republic of Chinaと書き、中国語では必ず大中華民国と書かなければならないことを外交部がすみやかに日本政府に要求するよう促す。もしも日本側の公文に『支那』いう文字を使われたなら、中国外交部は断然その受領を拒否することができる」。一九三〇年末から、日本政府の公文は全部「支那共和国」を「中華民国」に改められたが、社会一般の書面用語や話し言葉では依然として中国が「支那」と軽蔑的に呼称され、中国侵略の日本軍が「支那派遣軍」と称され、中国人が「支那人」と呼ばれていた。第二次世界大戦終結後、中国は戦勝国として代表団を東京に派遣し、一九四六年六月「命令」の形で日本の外務省に今後は「支那」という呼称を使ってはならないと通達した。同年六月六日、日本外務次官は各新聞社、出版社に、日本文部次官は七月三日各大学の学長宛に、「支那」という名称の使用を避けるようにという内容の公式公文を前後して配った。

戦後、特に新中国建国以後、「支那」は次第に死語となり、用いられなくなった。しかし、日本の社会において、今でもごく少数の右翼分子は依然として故意に中国を「支那」と呼び、ごく少数のものは飲食店のおそばのことを「支那ソバ」と言っている。日本で出版されている一部の地図にも中国の東中国海を「東シナ海」(「支那」の二文字を片仮名に変えただけ)と称していて、広範な華僑同胞の反感を買った。東京で料理店を経営しているある華僑は「支那」という呼称をなくすよう、数十年もたゆまぬ抗争を続けている。この華僑はお店のマッチ箱や箸袋に悲憤をこめて、謹しんで申し上げる、と次のように書き入れている。「……日本の人が中国を『支那』と呼ぶとき、私たちはどうしても日本が中国を侵略し、中国人を侮っていた頃の歴史を想起してしまうのです。……」と。ある人は怒りをこめて、中国を「支那」と呼ぶことは以前西洋人が日本人のことを「ジャップ」と呼び、東方の人たちが日本を「倭」と呼ぶのと同じではないか、どうして中国人民の感情を尊重しないのか、とただした。

日本では、孫文もかつて「支那」という呼称を使ったことがあるではないかと弁解する人もいる。孫文は一八九九年、一九〇三年の少数の場合に確かに「支那」という言葉を使ったことがある。当時は「支那」という言葉がさげすむ意味へと変わる初期にあったことも理由の一つとしてあげられよう。一九〇五年以後、「支那」のさげすむ意味が逐次濃厚になり、そのときから孫文は二度と「支那」を使わなくなり、そのかわり「中国」を用いるようになった。もう一つの理由は、孫文は革命者として、「支那」は清王朝と等しいと考え、「中国」はその革命を進めて樹立をめざす中華民国であり、中華民国の建国以前「支那」と呼称したのは清王朝を指すものであって、辛亥革命後、「中国」と改称した。
(略)

所謂「言葉狩り」といわれるものは、現代においてネガティブに捉えられている。勿論、どのような言語表現も「言論の自由」「思想の自由」の名の下に許容されるべきであろう。しかし、「言論の自由」「思想の自由」の名の下に為された「自由な行動」は、また「言論」「思想」の下での批判を受けねばならない。
その時、その「言論」「思想」はどのようなものであるか判断される。
言論の自由」「思想の自由」とはこのように個々人に担保されてなされるべきもので、どこまでもイノセントなものとして扱われるわけではない。
支那」という表現を行うことは自由であろう、しかし、その表現を行うものがどのような「思想」の下にいるかは評価されるものである。

そもそもこの「言葉狩り」という言葉が広く使われた契機としては「筒井康孝の断筆宣言」という騒ぎが挙げられるだろう。しかし、あの文脈においても筒井康孝は「てんかん」者に対して蔑視していたわけではなく、また、一方の当事者である「てんかん協会」も「てんかん罹患者の運転免許」について活動を続けている。
あの騒動が、それまで持たれていた「てんかん罹患者は車を運転できない」というある種の誤解と偏見を和らげたという意味はあるだろう。
筒井康孝が「てんかん」という言葉を使ったことで*1誤解と偏見が緩やかではあるが緩和されたという効果はあったかもしれない。

つまり、筒井康孝が「てんかん」という言葉を「言論の自由」「思想の自由」の下で使用したときに、その「言論の自由」「思想の自由」を「言論」「思想」の下で再評価を行う、その作業によって社会の捉える「てんかん」という言語の意味がひとつ深まり、「てんかん」という言葉自体もひとつの自由を得たといえるだろう。

では「支那」という言葉は如何だろうか。

上記のように、「支那」という言葉は「支那派遣軍」という名でなした日本の侵略の象徴であり、被侵略民が「日本の人が中国を『支那』と呼ぶとき、私たちはどうしても日本が中国を侵略し、中国人を侮っていた頃の歴史を想起してしまうのです。」と語ることは十分理解できるものだろう。
果たして「支那」という用語を使用するものたちは、彼ら被侵略民の持つ感覚、感情、そして思想に応えているだろうか。
支那」使用者が「蔑視しているわけではない」と幾ら言い募ろうと、言われている対象者がいる以上、その対象者を忖度できないとすれば、それは「表現」とはいえない。思想において開かれているとはいえないだろう。

逆に、「支那」という言葉を使うとき、その使用者はこの言葉にまといつく歴史的背景を無視するだけでなく、あたかも、その歴史的事実すら思考の外に弾き出そうとしているかのように見える。
例えば、「従軍慰安婦」の存在はどうか。「従軍慰安婦」が軍部の指示で行われたかは不明かもしれない。つまり日本が国家で「従軍慰安婦」を制度化したわけではないのかもしれない。しかし、今日的に「ジャパゆき」と呼ばれる人々が現に存在し、フィリピンなどの東南アジア、はてはルーマニアなどの旧東欧諸国からも集散し、現地の人々に「日本」がどのように見られているかは容易に想像がつくだろう。
国家賠償に対する制度的な問題はさておいても、その存在が或いは恥ずべき物として慎重に捉えられるべきものを、あたかも何も無かったと言い募る姿は恥知らずと断じられても致し方がないだろう。
また、「南京大虐殺」についても、そこで何等かの大量殺人が行われたことは疑いを入れない。


(まだ続く)

*1:彼が積極的に意図したわけではないが