劣化した?日本

劣化した?日本

あけましておめでとう。×2

まあ、いろいろとゴソゴソやっている。

福田まで政権を投げ出して、「世襲議員立候補抑制法案」まで取りざたされているけれども。
まあ、「格差社会」(=競争力阻害社会)って言われて、その対策の旗を振らなきゃならないってのがオンブ日傘の二世議員三世議員ばかりって話では浮かばれない。

で、次に控えているのがついに出た!って話の「ひょっとこ太郎」ときたら、日本の人材払底もついに来るところまで来たなという感を禁じえない。
野中が(すでに、「議員生命」ってのが無いから)「生命を賭して」「ひょっとこ」を落とすって動いているらしいし、自民党内の各派閥やら、公明党まで水面下では「そのひょっとこの次」なんて事まで模索しているらしいので、この「裏の裏を読むジャンケン」は一体どこでケリがつくのやら。ガキの頃、こうやって「裏の裏」「そのまた裏の裏」って読み相をすると、表面的には至極当たり前の結論に達するという教訓を得たが、この場合もそんな感じになるのかもしれない。

…しかし。

それにしても、昨今の「政策立案能力の劣化」は酷いなぁ。という気がする。

社会保険庁の問題はその最大のものかもしれないけれど。
10年か20年後の後世から「トンでも空想科学」と笑われそうな「環境庁」の設立であるとか。
ミエミエの利権の巣窟、「地デジ」
更には「東京オリンピック招致問題」に
小さいところでは「タスポ」の問題。

なんでも、この勢いで「タバコを1000円にまで上げてしまえ」って意見があるそうだけれど、それを聞いて「闇タバコ」を扱おうって「その筋」の人々が雲南省だかどっかに特使を派遣したとかしないとか。

なんで、こうも「制度デザイン能力」ってヤツがないのかなぁ。

と、つらつら考えてみると。
日本という国で「制度デザイン能力」と覚わしきものがあったって、そういえば田中角栄ぐらいしかいないんじゃないかって気がしている。

「官僚1流、経済2流、政治は3流」とかって言葉もあるけれども、戦後、官僚が1流らしい仕事をしただろうか。「昭和の3大バカ査定」って大蔵省には言葉があるけれど、平成に入ってこの規模のバカ査定は「年度物」になった気がする。
そもそも、戦後の高度経済成長を指揮した。って官僚どもは胸を張るけれど、なんの事はない、朝鮮戦争の特需を契機に、お隣の韓国やら中国でも起こったような生産力の拡大が起きたってだけで、胸を張るその高度経済成長にしても、その影で今問題になっている社会保険の悪癖は「デザイン」されてしまっていたわけであるし、地域社会の破壊という問題やら公害問題。更に、今でも尾を引く食料政策の無策という問題もあるわけだ。そういえば、林業では「杉の植え過ぎ」という制度デザインのミスがあったりもする。
つまりは、この高度経済成長、その後の護送船団方式(経済の破綻、みんなで隠せば怖くない)そして、バブルの崩壊までは、そもそも朝鮮半島の血の上に乗っかった浮遊だったわけで。それなりの常識があれば運営、指揮できたって事だったのかもしれない。

「劣化」というわけではなく、もともとこの程度だったのだろう。

では、もっと優秀な官僚を!
政治家には、選挙制度にスキルチェックの機能を!

って〜トップダウンは有り得ない。

その昔の大蔵省(戦後の繁栄を指揮したってやつら)以上に優秀だったって「陸軍&海軍」が何をしでかしたかって見れば「優秀なやつら」ってものの限界はすぐに底が割れる。

今後もチグハグな制度がポコポコ出てきては、国民生活ってヤツを滅茶苦茶にしていくだろう。

ここで、必要なのは、松岡正剛式に言うならば「フラジャイル」な柔軟性。
佐高信風に言うならば「社会の静脈」
つまり、国民からの突き上げが真っ当に取り上げられる社会じゃないかって気がする。
声を上げるべきだ。ネット内でグダグダ言って(ガス抜きされて)いるだけではなく。もっと具体的に効果がある「イヤな方法」を模索すべきだろう。

公明党民主党が政権をとっても、恥も外聞も無く蝙蝠さんになってくれそうなので、創価学会でも入ろうかなぁ。(アリエナイアリエナイ)

ところで、本日発売の「文芸春秋」は買いだ。
タモリ赤塚不二夫への追悼文を書いている。そのなかで赤塚の葬儀で「読み上げた」弔辞が文章に起こされている。久々に目頭が温かくなる素晴らしい文章だ。