「ブログとニュースの情報経路についてのケース・スタディ」

全然別の話題で(噛みつき系ブログ経由で)興味深い記事に出会った。
ブログとニュースの情報経路についてのケース・スタディ(極東ブログ)

情報ソースを明示しないニュース記事の信頼性は乏しい

ここでわたしが述べている情報も「情報ソース」は明示されていない。ACCやら民放連に取材をかけたのは事実だがその経緯やルートはぼかしてある。それはこの記事を書いている「読者」と現実世界での「私」を切り離し、自己防衛するための方策であって、「読者」は相当の信頼を置いている者以外には現実世界での「私」を見せない。
ここで「信頼」を得るために情報ソースを明示するよりは、情報ソースはぼかしたまま自己防衛を諮った方がわたしには利益が大きい。なので、このわたしを「信頼」などせずにそれぞれがそれぞれで「信頼」できる情報源を当たってみてもらえば良いのではと思う。「テレビ局CM責任者会議」の存在と性質ぐらいなら中学校や高校の新聞部程度のスキルがあれば各方面に確認が取れそうな気がする。

こういった目で再度佐々木の文章を見てみると、果たしてどの程度信頼性があるか、判ってきそうな気がする。あちこちで参照され「信頼」されているようだけど、それは佐々木が著作もある作家だからだろうか?しかし、彼のサイトをつらつらと見てみればどの程度「信頼性」があるかは一目瞭然であると思えるのだが。

余計なことだろうけど、彼を作家として信頼するヒトは、彼の著作に関して読まれたことはあるのだろうか?申し訳無いけれどわたしは「ゲノムの方舟」しか読んではいない。これも infohands に課題として出されていやいや読んでみた次第なのだが。酷すぎた。
時代性を盛り込むのが彼の手法なのだろうけれど、それにしても酷い。ストーリーを構成するのは人間であって、その人間というものの理解ができていなければただでさえ虚構の物語は単なる妄想に堕落する。彼の人間理解はとても平板で、その平板な人間たちが織り成すストーリーはご都合主義の連続でページを繰る毎に失望と疑問が湧き上がった。
彼のサイト「週刊アカシックレコード」に関しても、そういった底の浅い人間理解の産物で、鼻白む予想と妄想の連続でしかないとわたしは断じている。良く言って作家としての想像力の産物なんだろう。それ以下でもそれ以上でもない。

そして、そもそもの堀江の日記にも再度目を落としてみよう。
ここで語られている事は2つある。
1.「番組中にlivedoor.comのアドレスは入れられない(略)、内部基準らしい」
2.「またCMにも激しい制限があって、最後の1秒くらいしかアドレスを載せられない」
良く見てみると、この二つには主語が明確でない。
番組中にlivedoor.comのアドレスを入れないという内部基準をかざしたのは誰で、CMに制限を加えたのは誰か。堀江はこの両者をライブドア社内の担当者から聞いたのか、直接放送局か広告代理店から聞かされたのか。
まず、番組中にアドレスを入れる問題に関しては、TV朝日の「指名手配」という番組がどのような性質を持っていたのか判らないのだけれど、「寄せられたタレこみ投稿を元に、「さまぁ〜ず」が指名手配者たちを調査する番組。」という事なんだろうか?(こことか)
この投稿サイトをTV朝日の管轄ではなくライブドアの管轄にしたかったということんだろうかな?
すると、テレビ番組制作者の危惧は手に取るように判る気がする。
そもそも番組を成り立たせるであろう「タレこみ」がどのようなものになるか、非常に危ういことは想像に難くない。掲示板形式にすればそこはとてもじゃないが深夜といえども民放の放送コードを保てる内容などにはならないだろう。
更に、そのサイトの構成も危惧の元だろう。堀江はライブドアへの誘引を謀りたがっていたのだろうが、それは何段階かのリンクによってやはり放送コードの逸脱を生むだろう。この内部基準はそういった危惧の表れなんじゃないんだろうか。

CMの内容に関しても同様なことが言える。そもそも番組制作とCMの素材内容について、同じ所が携わっているというのも疑問だ。「最後の1秒くらいしかアドレスを載せない」と判断したのが製作なら、それはそれで理解できる。先にも書いたようにあまり効果が見こめないからだ。
リクルートの「リクなび」やグッドウィル(ケッ!敢えてリンクなんぞしないぞ)の「モバイトドットコム」なんて、効果的にテレビCMからアクセスを稼いでいるんじゃないか?)

堀江は嘆く前にライブドアポータルサイトとしての性格をもう一度見直した方が良いのかもしれないし、佐々木は想像を逞しくするよりも先に現実を、というよりも人間をもう少しちゃんと見つめなおした方が良いんじゃないんだろうか。