「社会的交換モジュール」の暗黒面

帰りの会

ぐぉ〜、残酷だなぁ。
というか、今頃こんなこと書いて「自分だけ良い子」になってないか?(という話をすると、何重にもわたって話が混乱するので、文章としては素直に受け止めとこ)

あったよなぁ、学級会だのなんだの。わたしは大概皆の反対を提起してて、「うざいヤツ」とかって思われてたけど(それは今もあまり変わらないわけだけど)。
そんな「裏張り」のわたしをみてある先生が「天邪鬼だなぁ」と複雑な褒め方をしたものだった。なんとなく、「天邪鬼」「裏張り」に価値を見出していたんだろうなぁ。幾人かは「議論厨房」になって(って、小学生だけど(旧制じゃないよ))大体議論は紛糾したものだ。このドッジボールの件なんて、絶対「謝る」なんて筋違いの結論には行き着かなかったろうなぁ。松井君(仮名)のような事例も考えられなかったし(ちょうど、逆に近い事例はあったんだけどな)。

その内、あまりにも議論が紛糾するんで「動議」と「動議の順位」やら「議論のルール」ってヤツを子供ながらに作ったんだよなぁ。「多数決に付すにそぐわない問題」って議論もあったなぁ。ぽわわわ。下手をすると学級会の時間に結論が出なかったので放課後(授業の終了後)に再開して、日が暮れても続けてたものなぁ。「議論厨房」には絶好の環境だったんだけど、他の皆は被害者だよなぁ。ぽわわわ。

「社会的交換モジュール」やら「同調圧力」ってものは時として恐ろしい風景を生み出すんだよな。魔女裁判とか。それを抑制するのが「天邪鬼」であって、「天邪鬼」にも効用があるってもんなんだろうな。