森巣博の指摘

とは言っても、彼の指摘は当たっているだろう。
少々抜書きさせてもらおう。

なにしろ日本では、十五歳から二十四歳までの若者たちの五人に一人は、学校にも行かず就職もしていない状態に置かれていた。
自己責任?
ある世代の二十パーセントの者が世の中から切り捨てられるのは、明らかに制度が破綻している証拠である。
しかし、制度の破綻は隠蔽された。
オウム、北朝鮮外国人犯罪イラクの日本人人質。
マスコミは現実を覆い隠すため、標的として差し支えない「異物」を提示し、大衆に怒りのはけ口を与える。日本社会の安寧は、こういった少数者たちによって脅かされているのである。だから、非国民を排除さえすれば、敗戦後の廃墟から不死鳥のごとく蘇ってきた本来の日本社会が、再生する…。
「蜂起」森巣博 pp.365 (太字部分、原文では傍点)

2ちゃんねるの恐ろしさは、むしろ、はけ口や出口さえ与えれば、ごく普通の人間が、自分の持つ欲求不満や無力感を憎悪に転換させ、あの掲示板で爆発させることができる点にある(中略)
一種の憎悪の政治学だな。バッシングの標的を提示する。するとその標的を叩くことによって、欲求不満が一時的に解消されたような気分となる。北朝鮮、在日、外国人犯罪イラク人人質事件、反日日本人、みんな同じだ。未来が見えない、不安で打ち震えている人間たちにも、徹底的に容赦なく完膚なきまでに叩いても一向に差し障りを生じない人間たちが存在したんだよ。本来は自分自身に向かうはずの嫌悪が、特定の標的への憎悪にすり換えられる。だからあの掲示板は、無能力者たちの精神安定剤の役割を果たしている
同書 pp.389

比較強者は、比較弱者を喰っても構わない。
新自由主義社会の根本をなす哲学である。
―万人の万人に対する戦い。
と十七世紀のイングランドの政治思想家が描写した状態が、ついに到来したのだ。
同書 pp.394