オヤジ慰撫史観
- 作者: 森巣博
- 出版社/メーカー: 金曜日
- 発売日: 2005/03
- メディア: 単行本
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森巣博の「蜂起」を今読み終わった。ちょっと腹立たしい。
こりゃあエッセイだ。その時々のネタをストーリーに絡ませているだけだろう。ストーリー、プロット、トピックは、あまり面白いものでもない。というかだなぁ、編集は森巣に遠慮し過ぎじゃないか?彼がノッテいる所は長く、深く、ノらない所はさらっと、軽く。森巣本人の為の作品であって、読者(わたしのことではないよ)の事など二の次になっていやしないか。
まあ、今のこの日本と言う社会だの、警察、経済、政治やら言論、マスコミのあり方とか2ちゃんねるね、さらに家庭だの職場だのって。森巣本人の言いたい事には反論はない。大体同じようなことは思っているし、主張も近いんだろう。
森巣は「非国民栄誉賞」を狙っているらしいけど、わたしも「非国民」と呼ばれたいと常々思っている。
だから、逆に腹が立つ。多分、わたしが「週刊金曜日」を読まない理由に繋がっている。(これって、「週刊金曜日」に連載されたんだってな)
警察だの大マスコミだのって「権力」を醜悪に書く。愛国者をバカとして書く。こんな事は別に難しくないだろう。ありのままに書けばそうなるんだから。それをいたずらに戯画化すると却って鼻白むばかりじゃない。デフォルメによって、これらに逃げ場を与えているようなもんだ。
そもそもそうやって異物に対して、醜悪化を施すなんてのは小林よしのりの十八番(「おはこ」と読むんだよ。コヴァファンのみんな)だろう。
でだ、そんな事してどうなるノッテの。ねえ、「週刊金曜日」の編集のおっさんよ。
大衆は収奪され、切り捨てられている。ってか?今こそ蜂起してこの社会を転覆させてみせようってか?
それって、所謂「自由主義史観」が持つ「癒しとしてのナショナリズム」とどう違うんだ?「蜂起」による「癒しとしての全共闘同窓会」を描いているだけじゃないか。
森巣さんよ〜、居心地の良い「週刊金曜日」になんて書いていると、あんた自体がバカになるよ。正味の話。
いっそ、もっとギャンブルと料理と、どうしようもない男と女の話の方が良い。