ポータル思考とブログ思考

http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20050323#p3

ポータル的発想と言うのは旧来のような「情報のハブ」がどこかにあって、つまりそれが一定の権威なり信頼性を担保するという考え方が基底にあるのではないのだろうか。翻って「ブログ思考」または「ブロゴスフィア」における前提は、それぞれのブログがフラットで流動的であるという前提がある。「ポータル的発想」においては前提としての権威が要求されるのでありそこには既存の「固有名」が必要となる。(ポット出の「ポータル」には権威などあるはずが無く、一定の活動を続けることによって信頼を得「のれん」に重みを増していく必要があるんだろう)
ブロゴスフィア」においては情報の重要性、信頼度は流動的であって、これは事後的なリンクの形成、参照のされ具合、またはそれ以降の議論の流れから情報の精度が増していく(と期待されている)つまり個々のノードとしてのブログにはそれ固有の「固有名」は特段必要とされない。
整理すると。
「ポータル的発想」−情報の信頼性を権威が担保−固有名の必要性
ブロゴスフィア」−情報の有効性を相互に検証−匿名性の有効度

(ここで、前者においては情報と信頼性が、後者においては情報と有効性が繋がれている。
情報をその信頼性という観点から取り扱うか、それとも有効性のみあれば良いと見なすか、この差が両者を分けるとも捉えられそうだ。ちょうど、実名投稿の有効性と匿名投稿のそれと言った議論の続きのようだ)

「ポータル的発想」においては一人の権威者に「かまってもらえなかった」という出来事は、その権威者に承認されない情報であるという重い意味を持つのに対して、「ブロゴスフィア」においてはさして意味を持たないかもしれない。つまり、権威者が承認していなくても、その情報自体が豊富なリンクを形成し重い情報として扱われ始めればそれは有効であると見なすことができる。

なんてな。