中西一善とあびる優と堤義明と

多分、このネタはあちこちで扱われているからあまり面白くないんだけど。
「ただのなんかおもしろいインターネットの人」もなんかこんなこと言っているから弄ろう。
http://d.hatena.ne.jp/strange/20050311#p1
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国会議員が会期中に女性に猥褻行為をして捕まったんで辞職して、こんな事は前代未聞だ。って話らしいんですけど。確かに前代未聞でやんしょうね。でも、それは「捕まったこと」が前代未聞なんじゃないんですか?国会議員が会期中であろうと何であろうと、違法性はどの程度かも知りませんが、少なからぬハレンチ行為を働いたなんて、いままでにも有ったことなんじゃないんですか?
あびる優が万引きをしたってんで吊るし上げのように干されたんですけど、ちっとやそっとのおおちゃくな奴じゃなきゃあ芸能界なんて魑魅魍魎の跋扈する巷を歩けたものじゃないでしょう。いったい芸能人をなんだと思っているんですか?聖人君子ですか?馬鹿じゃないですか?
堤義明が証券法違反をしていただの脱税をしていただの愛人を囲っていただの今更過ぎませんか?

暴対法施行以降、各地の祭礼の仕切りから香具師が排除されました。祭礼ともなれば男衆は仕事を休み昼間から酒を煽ると決まっていたものでした、そうなれば羽目を外す男衆も出るのは理の当然です、しかし香具師は祭礼を仕切り、素人衆でも安心してお祭りを楽しんでもらえるように、そういった男衆を押さえる器量が求められたのです。祭礼においてはお金を落としてくれる素人衆があってこそお祭りになります。そういった素人衆が集まってくれて香具師の生活も成り立っていたわけです。
しかし、その祭礼から香具師が排除されました。羽目を外す男衆、今では女性も居るわけで、つまり羽目を外す若者に押さえがありません。結局、警察が無粋の極みの盾を持って物々しい警戒に当たる事になりましたとさ。

物事には作用と反作用があります。法というロジックに人間という不条理はマッチングしません。
ロジックと不条理の間を司っていたのが社会のフィードバック、調整機能だったのではないでしょうか。
国会議員程度の者が女性に失礼な行為をする。その「ケツ拭き」にだれぞが走る。
跳ねっ返りを吸収する芸能の世界がある。(あびる優の事務所の先輩でもある某(体も大きな)大物歌手は、若い頃地元で暴れて、喧嘩の相手を道頓堀に叩きこんで、翌日死んでいないか新聞をチェックしたというではないですか、そしてそれをまた自伝かなんかに書いているんでしょ)

透明性を求める、法の厳正な適用を求める。それは良い。それは良いことだろう。女性が力ずくで失礼な行為をされて涙銭で泣き寝入りさせられる。そんな事は「間違ったこと」に違いない。芸能人だから、何をしても許されるという事も無い。誰であっても本来法の下に平等であるべきだ。確かに「正しい」

しかしその「良い事」にも常に反作用があることに目を向ける必要があるのではないだろうか。
つるし上げられるのが「あびる優」だけで良いのか。堤をつるし上げたからには、その先に控えているやむごとなき方々まで厳正な法の適用を求めつづける覚悟があるんだろうな。きっと多分無い。その中途半端さがこの国の今のバランス

議員の猥褻行為を、どっかの料亭の座敷でなく警察やら法廷の場でけじめをつける。
NHKやら特定郵便局で不正が起きたら蟄居閉門の後に暇乞いを取らせる。(なんか、自分が「馬面」になってきた気がする*1)そうやってバランスを取ってきたこの社会のバランスが崩れてきている、いや、「適正化」されているんだろうからバランスが変わってきている。ということなんだろう。

それは「良いこと」に違いない。しかし、そこにも反作用はある。

*1:ネタ元は黒澤の「椿三十郎」な