明治神宮

明治神宮の出自にまつわる本を読んでみた。「明治」という時代が生んだ神社として、明治神宮は国民が天皇に対して奉げた神社であり、靖国神社天皇が国民に与えた神社であるという考えもあるらしい。どちらも余分なものであろうと思っているけど。
違うな、明治神宮やら靖国神社自体は余分であると易々と斬って捨てる事はできない。しかし、この心が示す拒否感は拭い難い。つまり、自分の中にはそもそも明治神宮やら靖国神社そのものには忌避感も親近感もありはしない。あるのはそれにまつわるもの、まとわりつくものの存在への忌避感なんだろう。
そういえば、以前皇學館の某教授だかなんだかと軽い議論をした際に「神社にはヒエラルキーがある」という立論を否定されたが、やっぱりあるじゃないか。「社各」
だまされたか、「ヒエラルキー」という言葉の意味が通じなかったか。
まあ、いいや。
後は、その本を読んだメモ。

 1907年(明治40年)代々木御領地、及び青山練兵所を舞台に、日本大博覧会が計画された。初期は1912年(明治45年)の開催を目標とされたが後に1917年(明治50年)を開催目標とされ、天皇在位50周年の事業ともされたが、1912年3月財政状況から中止。

少なくとも初発の段階において「神宮を東京へ!」という運動は間違いなく民間の経済人主導によるものだった。

  • 「明治」の発明
  • 明治神宮完成後、表参道中央道路の陥没事故が起きる。これを契機として同工事、及びガス工事における汚職が発覚、東京市を巡る疑獄事件へと続く。
  • 青年団による勤労奉仕
    • 東京見物。
    • 宿泊・食料購入・入浴に便宜が図られていた。
    • 経費は自弁ながら低廉とはいえ労賃は払われていた。

しかし、この運動が「勤労奉仕」としての全国的な動因に繋がり、国民と明治神宮の関係を深める。この流れはやがて「日本青年館」の建設、学徒出陣の舞台としての「外苑競技場」の存在にまで繋がる。

ところで「明治神宮」はいつ作られたか。日本の年号で言えばいつで、西暦でいえばいつに当たるか。上にヒントがあるから間違えようがないだろうけど。