反日

見慣れない所から飛んでくるヒトが居たのでリンク先をのぞてみた。そのサイトによるとここは「反日」サイトらしい。
そこでの主張については一々反論する気にもならないのでほかっておこう。
そこの子達に次の2点だけ指摘してあげよう。
1.「国」とは。

君たちが想定する「国」とはなんなんだろうか。
国土か?そこで生活する「国民」だろうか。それとも領土、領海か?それらの中で主権を指しているのだろうか。またはその執行者としての「国家行政機構」であるとかその制度を指しているのだろうか。はたまたそれらの積み重ねとしての歴史であるとか文化を指しているのだろうか。
何をもって「日本」と捉え、何をもって「反日」と捉えられるのだろうか。わたしは国土に批判を加えているだろうか、文化に批判的だろうか。「国民」全般を批判するほどバカではない。その一部を批判しているに過ぎないし、総体としては肯定せざるを得ないとみなしている。(簡単に反語的に言うならば「衆愚」と言い捨てたくはない)
結局、「国家行政機構」に対する批判をもって「反日」とみなされているように思える。つまりわたしに対する「反日」との批判は、君たちが「国」とは「国家行政機構」であるとみなしているからなのではないだろうか。

2.「国家行政機構」とは。

国家行政機構とは単なる制度でしかない。それは究極の存在ではないし、永遠に存続させるべきものでもない。「国民」の幸福の為にあればよいのであって、「国民」の幸福と「国家行政機構」の存在が相対する場合には「国家行政機構」など即座に捨て去れば良い、改変すれば良い。
こういった視点に立てば「国家」などというものは「国民」の単なる乗り物であるとみなしうる。
「国民」が歴史と言う道を移動する為の乗り物が「国家」なのであって、「国家」の為の「国民」などではない。
さて、「国家」を乗り物とみなしてみると話しは早い。例えば君が高速道路を車で走っている時に、その車から異音が発せられたら君はどうするだろうか。または、ステアリングを左右にきってみても車が動かなければ君はどうするか。
君のお気に入りの車が不調になどなりはしないとそのままアクセルを踏み続けるか?どんな異音が出てその爆音が周囲に迷惑をかけようと委細構わず走り続けるだろうか。
ボンネットを開け、時にはあちこちの部品をひっぱたいて検査修理を施すべきだろう。時には異常な部品を付け替えなくてはならないはずだ。
どんなに車を愛していようと甘い検査で走り続ければ死ぬのは乗員である自分自身なのだ。