この世の中から正常な者だけを残そう

奈良の児童殺害事件を受けて児童ポルノの在り方やら「ロリコン」、「オタク」の存在をフレームアップする議論があるらしい。
http://d.hatena.ne.jp/jizou/
とか
http://d.hatena.ne.jp/samoku/20050103#p2

わたしはそもそも性行動に「正常」も「異常」もないと思っている。いわゆる性教育の教科書に載っているような「正常位」と呼ばれるモノにしてからが、男性の生殖器を女性の生殖器に挿入するわけなんだが、男性の生殖器ってのは排泄の為の器官でもあるわけでしょう。それを女性の体に入れるって、そんな事とても「異常」じゃないですか。とても昼日中に人様の前でできるような事ではありません。はい、わたしは二人きりでこっそりやります。

つまりは性行動なんて全て異常であって、異常であるから興奮もするわけでしょう。性行動が日常であり、常態となってしまったら興奮も冷め、さぞやつまらない事だろうなと思います。

では、その異常な性行動の更に異常ってのはなんなんでしょうか?後背位は異常か?フェラチオ/クンニは異常か?ホモ/レズは異常なのか?SMは?フェティシズムは異常か?
そして、ロリコンは異常なんだろうか?

歴史的に考えてみても少女に対して性衝動を覚える事はそんなに
異常とも思えない、というのも歴史の中では9歳だの10歳だのといった結婚はざらにあったからだ。そもそも初潮があるということは既に子供を作れるということで、それはとりもなおさずその前段階としての性行動の可能性を生物的には保証しているという事だろう。

どんな事でも良い、なんでも良い。とりあえず何等かの一団を「異常」と決め付け社会から排除しようとすればその社会は病んでいく。

ナチス共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。次にナチス社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。 −マルチン・ニーメラー牧師


とはいえ、確かに親という存在に依存している子供のポルノが蔓延する事は問題だろう。
1.子供が親に依存しなければならないというのは、この社会がそのように出来ているからである。児童ポルノの規制以前には親が自分の娘をポルノとして売るということが散見された。このような境遇、つまりバカな親の元に生まれた子供が親元から離れる事を自己決定できる社会であるならば、この文脈での規制は必要ない。
2.子供には自己決定できないという「思い込み」もあるかもしれない。15歳以下の性行動の禁止などもそういった思い込みの下にあるのだろう。しかし、成人であっても如何ほどこの自己決定、つまり「性衝動につきまとう責任への自覚」があるのだろうか。子供にだけ自己決定能力を問い、年齢だけ重ねればそれを免責されるというのは如何なものか。
では逆に、その能力を持ったものだけに性行動を許すか?違う、性行動というのはそのような社会的条件の前にある。つまり、「性衝動につきまとう責任」というものも社会が要請するものであって、「性衝動」そのものは既に備わっているものなのだろう、つまり議論がヒトから社会という流れでなく、社会の存在があって、その中でのヒトと逆になっている。



(付記)
http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20050105#p1

参照元も伝聞であるとのことなので確定的なことはいえない。
また、別に勝谷がどうのということももう既にどうでもいいだろう。誰が言うにしても「変質者を守れ、というものですか?」という質問には「守るべきだ」と答えたい。
どうも、「●●なんかに人権があるのか」といった乱雑な立論をするヒトは自分だけはこの「●●」にならない、またはこの「●●」の隣に座らされる事はないという思い込み、根拠のない安心感があるようだ。(実際に勝谷など、プロでありながら公の場所にあのような文章を上げるとするならば、充分「変質者」に列せられると思うんだけどね)