良いロック

去年(2004年)の12月26日、千葉県浦安市においてTBSラジオの主催する「FOOL'S MATE PRESENTS Beauti-fool's Fest 04」(キャッシュ)というイベントが行われた。
その際に一参加バンドがイラクで人質となった香田証生の殺害された模様を演奏のBGVとして流した。
この出来事が報道されると当該バンドのファンサイトに設置された掲示板に大量の書き込みなどが行われ掲示板が廃止されるなどしたらしい。
ヴィジュアル系ロックバンドKLACK関連

今回も騒ぎの元は壷というわけなんだろうか。
当の香田証生事件の際に彼の行動に批判的だったのも壷であったように思う。そして今度はその殺害映像をBGVに使う事に批判的であるということだ。

勿論、壷にそもそも「党派性」などないことは十分承知している。香田を批判し、今回のバンドを批判するという一見矛盾している行動が同一人物によって行われたわけではないだろう。
壷には大量の参加者が居るわけで、その一部が香田を批判し、そしてまた別の一部が香田の死を尊重し今回のバンドを批判するということはあったのだろう。


また、若者の無軌道な行動を批判するというのであれば、香田の行動を批判し、香田といわず死の尊厳ということに着目し、その殺害映像をBGVとして使用する事を批判するというのであれば矛盾していないともいえるだろう。

そしてなかには付和雷同的に「騒げればよし」と騒いでいた者もいたのだろう。

わたしはそもそも香田の行動に批判的になれない。相変わらずの「自己責任」論を当てはめても彼はそれを果たしているのだろうし、「若者の無軌道な行動」など批判に値しないと思われるからだ。そう、無軌道な行動を起こす事が、若者であるとも言える。
その無軌道な若者の行動に制限を設ける、つまりは社会の本来あるべき緩やかさを狭める状況を作った者どもに対しては批判的にならざるを得ない。なぜ、我々はイラクの人々と気軽に交流が出来なくなっているのか。

更にまた、このバンドにも批判的などになれない。ロックに「良いロック」も「悪いロック」もあるんだろうか。社会が受け入れやすく、咀嚼しやすいような物だけがはたして「ロック」なんだろうか。
社会という母胎の中でトンガって、その母胎を切り裂いて抜け出る。それがロックのありようなんじゃないのか?

どんどん気兼ねして、社会に阿っているうちにロックは単なる社会の愛玩物になり、消費されるだけだろう。
社会にケツの穴を差し出してファックされるままなんてロックじゃないだろう。



とは言っても。このバンドを「擁護」しているわけでもない。今回のBGVにしても「話題作り」でしかない可能性もあるわけだからな。また、結局は「音」なわけで。



ちょっと、メモ
「万人の万人に対する闘争状態」
経済合理性
成果主義
ニート
人口ピラミッド−老人医療