前日のコメント欄が「猫」に近付いてきたので新たにエントリーを起こします。

# memo 『生きていくには働かねばならぬ、という概念と現実は資本家/労働者/国家にとっていまや足かせなのでは。年金/生活保護/児童手当/最低賃金制度/失業保険を全廃し「社会的最低保障」に統合した上で成果主義賃金とすればよさそうに思える。空想的かな。 http://www.thought.ne.jp/html/text/socio/14nw07.html

「社会的最低保障」+「賃金」という考え方は「ベーシック・インカム」という概念に近いと思います。この概念に関しては「はてな」のキーワードに登録されています。



# strange 『仕事がいろいろマニュアル化されていくと、むしろマニュアル化されていないもの/できないものこそが仕事ってかんじ。おれはむしろ逆に、変化が激しい世の中だからこそ、知識や経験の価値が増していると思います。』

# strange 『イメージしている仕事が違うっていうのは、例えば米を作る仕事でいえば、毎年同じように稲を植えて収穫することよりも、それをベースとしながらも、米の作り方をかえて収穫を上げたり品種改良してうまい米ができるようにしたりすることこそがメインの仕事だっていうイメージ。たぶんそういう違い。』

「仕事」を創造性の高いものと捉えるということなんだろうと思います。確かに付加価値というのはこの創造性の事であるべきなんでしょうが、それだけって事でもないような気がするんですよね。
米作の例を受けて言えば、品種改良であるとか作付けの知恵などを無視して淡々と米を作っていても、何某かの付加価値は得られるんじゃないかと思うんですよね。そして大部分の「仕事」というのはこういったルーチンワークになっていて、更にそういった創造性をスポイルする方向に向かっているような気もするんですよね。(これは悲観的に過ぎるかな)

また、変化が激しい世の中というのは、去年までお米を作付けしていた農家が今年はみかんを栽培させられるというようなことがまかり通っているように感じてしまうんですよね。



ちょっと、具体的な愚痴を書くと。
その昔のコンピュータープログラムの作成といえば、事象の把握から、その問題解決の方法。具体的なデザインやインプリメント。これらの事をフルスクラッチで組み上げていたように思うんですが、現在ではこのような事って一定のツールに依存しますよね。それを流用した方が生産性が上がるのは当然の事で、この流れに効する事は出来ないと思うんですが。そうするとそのツールやらミドルウェアに準じた組み方、道筋というのが既に出来上がっているわけでしょう。こうすると比較的推測工数も予想しやすいわけです。
するってーと非常に便利なようでいて実は創造性ってものがスポイルされているんじゃないかって疑念も生まれるんですよね。
品質の均一化って話で「誰が作っても同じような物」が求められて。まあ、ユニークなコーディング、芸術的なアルゴリズムというのは得てして一人合点で迷惑であるって側面は確かにありますが。
しかし、こういったエキサイティングなクリエイティビティーの発露がない現在というのは「あの頃」に較べて幸福なんだろうかと思えてしまいますね。

なんだろう。
放し飼いでミミズを掘り返していた鶏が、養鶏所のゲージに入れられて規格に準じた肥料を食べるだけ食べさせられるみたいな。なにかしっくり来ない物を感じます。