自立した個人としての「愛」

平井賢 『Ring』イメージ

平井賢の『Ring』と、今のヒット曲「瞳をとじて」は共に「自立した個人としての『愛』」を描いているように思われる。

永遠に満たされぬ 孤独の影に怯えながら
いつか来る輝きを 求め人は歩き続ける(1番ブロックA)
本当は誰もみな 声にならぬ叫び抱えて
もがいては諦めて 今日という日を塗り潰してる(2番ブロックA)
心の傷跡も 忘れられぬ過去も
その肩に積もる冷たさも ゆっくり溶けて流れゆく(1番ブロックC)
心の傷跡も 忘れられぬ過去も
その頬を濡らす温もりが ほら輝きに変えるから(BメロブロックC)
平井賢 『Ring』より 著作権に配慮して一部を順を変えて表示)

『Ring』においてはガジェットとしての指輪は出てこない。インタビューにおいて平井は大意「年老いた女性の指に光る指輪が、亡くなったご主人との思い出と共に抜けないほど体に一体化している」その時間と共にある「愛」を歌いたかったというような事を言っている。

いつかは君のこと 何も感じなくなるのかな
今の痛み抱いて 眠るほうがまだいいかな(1番ブロックA)
瞳を閉じて 君を描くよ それだけでいい
たとえ季節が 僕を残して色を変えようとも(1番ブロックD:2番ブロックDリフレイン2)
記憶の中に君を探すよ それだけでいい
なくしたものを超える強さを君がくれたから(2番ブロックDリフレイン3)
平井賢 『瞳をとじて』より 著作権に配慮して一部を表示)

共に描かれているのは「一人の人間」である。彼/彼女は喪失を抱えている。『瞳をとじて』においては、比較的具体的に「愛するものの喪失」を描いている。『Ring』においてはその対象が「恋愛」を離れ、「心の傷跡も 忘れられぬ過去も」とより一般化されている。
それらの喪失を回復するものは時間と、その時の流れをしっかりと受け止める自分自身しかいない。
(話が飛ぶようだが、例えば犯罪被害者が加害者に対して憎しみを持つのは理解できる、しかし憎しみに任せて復讐を遂げたとしても回復にはならない。解決にもつながらない。憎しみを超え、喪失を受け入れられるように時を過ごす事。その中での被害者自身の変化のみが回復を可能にする)

関係性から来たした「心の傷」は、別の関係性で癒される事は無い。「心の傷」自身を超える何物かを自身の中に再構築する必要がある。

結論として、ヒトが気持ちよく平井賢を歌っているすぐ後に長渕剛なんか歌うんじゃありませんよ。「グーパンチが飛ぶ」ぞ。