ブラックジャックによろしくについて(リクエストにお応えして)

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リクエストされたので書いて見ます。
と言ってもあまり深く読んではいないんですね。昼休みに喫茶店で読む程度で、それも必ず読むという感じではなくて有れば読む程度なのでストーリーなど所々飛んでいるかもしれない。
わたしの把握しているところでは。主人公が今回は癌病棟に移動した。そこで癌患者に対して未承認薬を使うかどうかで指導医とぶつかる。この指導医はその昔主人公と同じように患者に対して未承認薬を使おうとして、延命治療という空しさと、患者に対しての負担を思い未承認薬の使用に懐疑的だった*1
今までの外科であるとか小児科であるとかといった場面では比較的価値観がハッキリとしていたということなんじゃないかと思うんですよ。つまり、「生きる事は良いこと」みたいな。「医療とは生かす事」みたいなね。ある意味、小児科の時の話題なんかでも、本当にここでこの子供を生かす事*2が、この子供とか親の幸せなんだろうか。という疑問はあって、あそこでの父親の苦悶というのは非常に深いものがあると思うんですよね。
しかしそれも乗り越えて「生かした」。しかし今回の場合は、もっと「生かす事」の価値観が揺らいでいたんじゃないかと思うんですよね。
実際今、医療の現場では「どれだけ生かしたか」よりも「どのように生きたか」が問われているように聞いています。つまり「延命」から「QOL(Quality of Life)」って流れになっているんでしょうね。
このストーリーには実は必殺技、ウルトラマンスペシウム光線*3があるんですよね。それは何かといえば「患者にむ向き合う主人公」という姿勢なんだと思います。
医学部の内部腐敗なんかは倫理観として乗り越えやすい話題ですが、生きること、死ぬことを考えると、そこには個々人の価値観が挟まってきますから一概にどちらがとは言えない。そこで主人公が取る選択は本当に正しいのか間違っているのか判らない。けれど、彼が彼なりに徹底的に患者に向き合う姿勢。これは読む者をひきつけて離さないんじゃないんでしょうか。そしてそれは医療であるとか、医者といった者だけでなく、すべての職業にも関わる一般性を持っているのだと思います。
また、こういったヒトがヒトと向き合う。「暑苦しい」といわれようと向き合うという濃密なコミュニケーション、それがこの作者の持ち味で、それが求められているような気がします。
なんとなく、今回の精神医療編でその辺りの内省も浮き上がってきていますよね。
ところで、今の話で「新聞記者」ってヒトが出ているんですけど、このヒトってやっぱり「患者」なんですよね?


*1:未承認薬だけではなく薬の承認でも色々と嫌な話しはある。また「ジェネリック医薬品」と呼ばれているものにも嫌な香りが漂っている。

*2:キリスト教的な価値観とかからすると、ヒトが「生かす」なんて見方をすること自体が誤りだとか言われそうですけどね

*3:古い