状況認識のずれ

これは主観的な感想です。
ちょっと捨て置けない文章がありましたので。

例としてあげれば、小林よしのりのオウム追求。オウムは長い間、「証拠不十分」として立件されませんでした。そして、小林よりのりがオウム追求をしていた時も、小林は「確たる証拠もないのに決めつけるな」と罵られました。しかし、結果的に正しかったのは彼でした。彼の働きがなかったら、オウム事件の被害はもっと広がっていただろう、とも言われます。

この認識は間違っています。坂本弁護士事件にせよ、松本サリン事件にせよ、法的には警察の証拠の積み上げによって立件されたのです。勿論その前にも横浜弁護士会の方々の活動であるとか、「カナリヤの会」更に、被害者でありながら一方的な報道によって二次被害を受けられ、それでも真実を曲げなかった河野義行の行動があったればこそ現実的な被害の拡大が防げたのだと思います。小林よしのりの活動が無とは申しませんが(彼のエキセントリックな取り上げ方が逆バネになった向きもある)彼は二次的な情報を彼なりの手法で広めたに過ぎません(彼の取材は二次的なものに留まっています)。
更に言うならば、地下鉄サリン事件に関して、ある程度の警鐘は鳴らされていたわけです。それにも関わらず有効な防護策を取れなかった、これは警察の怠慢と情報収拾能力の欠如、そして(結局沙汰止みになってしまった宗教法人への優遇税制是正も含めて)宗教法人という物への監督機能の不全という、現行の自公連立政権のバックボーンにも関わるこの日本の全社会的問題も含んでいるのです。
いろいろな情報の断片を繋ぎ合わせて、可能性を探ることは、さまざまな人間が、様々な角度から行ってこそ有効だと考えます。それが事件を見る視点を広げると思います。
その為にはまず、真っ先に自分自身を疑うべきです。自分自身が「あからさま」と思っていることをまず疑うべきで、持論の傍証を集めるよりは、自己の立論に否定的な情報から立脚すべきです。