賤業


2000年3月17日、北海道恵庭市の農道で、女性会社員の無残な焼死体が発見された。
この猟奇的で陰惨な事件は世間の耳目を集めた。
やがて警察は同僚の女性社員を容疑者として逮捕。この殺害の動機が被害者と容疑者の間の恋人の奪い合いにあるとされ、いよいよ報道は加熱を極めた。

2003年3月26日、札幌地裁は懲役16年の判決を言い渡し、この陰惨な事件は恋愛のもつれの果ての恐ろしい事件である事が世間に了解されるかに見えた。しかし、どうも様相が変である。
http://www4.ocn.ne.jp/~sien/
http://www.hideko.gr.jp/saiban/saiban.html
*1

上記サイトには「冤罪」とみなすについての詳細が述べられているが、
いくつかピックアップしたい。

3.「10リットルの灯油」で、遺体が炭化するほど焼損することは可能か
 判決は「灯油による焼損」を認定したが、10リットルの灯油をかけて着火し、5分以内に現場を離れる方法で、遺体のような全身の高度焼損、炭化状態は生じない

なぜ5分以内に離れなければならないかと言うと、次の(4)にあるように目撃証言、レシートという物証、更にビデオまであったからだ。
弁護側では豚を用意し同様の燃焼試験を実施したそうだ。まあ、常識で考えれば5分程度で肉がどの程度焼けるかは判るものだろう。それよりも遺体の所見から燃焼時間が出るのではないかと思うんだが。

4.目撃証言の不自然な変更、検察がビデオを隠していた理由は?
 判決は、遺体焼損を「3月16日午後11時5分〜10分」とする検察主張を認定したが、事件直後の目撃証言は「11時15分前後」だった。Oさんが同夜給油したGSのレシートは「11時36分」発行、また検察が隠していたビデオでは「11時28分〜30分」にGSに入庫している。現場からGSまでは最短25分かかり、Oさんの犯行は不可能

逮捕状においては、被害者の死体焼損の時期は同日午後11時15分頃となっていたそうだ。その時間にこうやって明確な物証が出た時に、推定犯行時間を変える事が合理的か(それにつれて、上のように物理の法則まで曲げる結果になってしまうわけだが)
容疑者と目星をつけた者が誤りであるとみなす事が論理的なのではないのか?
更に言うと「検察が隠していた」という一文も気になる。
警察、検察は真実などどうでもいいんじゃないんだろうか。

8.警察の捏造工作を疑わせる被害者のロッカーキー発見
 捜査員は「4月14日、千歳署車庫にあった被告人車両内でキーを発見し、とっさに『被害者のロッカーキーに酷似している』と判断、被害者ロッカーの鍵穴と照合・一致した」と主張、判決もこれを認定した。しかし、捜査員の「とっさの判断」はきわめて不自然で、本人の同意なしのキー差し押さえ手続きも含め、証拠捏造の可能性が濃厚

つまり、被害者のロッカーキーが被告の車内、それもグローブボックスの中から発見されたとされているのだけれども。どうなんだろうか。あなたがもしも顔見知りの者を殺害したとしてその物証品であるキーを自分の車の中に放置しておくものだろうか。
更に、上記の文章にあるように。加害者が被害者の遺留品をのこのこと自分の車の中に残しておくなんて事は考えにくい。ならば、加害者の車からよしんばキーが出てきたとしても、それが被害者の物であると考えるのはあまり合理的とは思えない。普通なら加害者本人のものであると推測するのが自然だろう。

その他にも「関係者全員のアリバイ確認」の発表はウソであり、裏付けが取れていないものもいるというような杜撰な捜査が行われたようであり、また加害者は警察の監視下にあるときに被害者の遺品を焼却するために2時間もとことこと雪の中を歩いた事になっていたり。(雪の火にわざわざ車も使わずに灯油だのなんだの持って歩けば逆に職質対象になって、その時に被害者の遺留品なんて持っていたら決定的だろう。そんなバカな犯罪者なんているのか?)また殺害現場とされる被疑者の車の中に被害者の遺留品(指紋、毛髪、失禁(被害者は直接には扼殺されていると見られている。首をしめられた場合失禁、脱糞などがなされる)などの後)がまったく無い。

確かにそうは言っても不自然ながら可能性はないわけじゃない。この事件は冤罪ではないのかもしれない。しかし、これが我が身に起きると思うとぞっとする。
かつて「治安世界一」を誇っていたこの国の警察は年々検挙率を落としている。一説には統計上わざと検挙率を落として警察力の増大を謀ろうとしていると言う意見もあるが、それはさておき実際に警察要員の増員は行われている。しかし、では実際に各所轄などに行ってみればわかるが警察の実体は単なる「お役所」でしかない。「社会正義の実現」だの「社会の安寧秩序」だの彼らの頭にはない。あえて断言する。キャリアもノンキャリアも含めて彼らの頭の中では「社会の安寧秩序」という言葉よりも「年金」という言葉の方がヒット率は高いだろう。腐った樽にいくらりんごを入れても腐ったりんごが増えるだけだ。

このような冤罪事件(及びそうと思われる事件)を見るときに常に感じる事は冤罪とされた被疑者もさることながら(その被害を増大させるのはマスコミだ)被害者の無念だ。
そう、冤罪とされた被疑者の影で、真犯人(敢えて、「ホンボシ」)は今日も枕を高くして眠っているのだ。これら犯罪者の安寧を守っているのガほかならぬ誤りを認めず、証拠の捏造隠蔽までする「誇り高き警察」の見栄なのではないか。

公務員にだけはならないほうが良い。
特に警察だけは。

*1:この「伊東秀子」は元社会党の伊東秀子である。事件の立証と政治性が関係すると思うのなら以降は読むな。