消された「多事争論」補足

今日はちょっと虫の居所が悪い。理由は(余力があれば)最後に書く。取りあえず題にもなっている「二つの見落とされたもの」について書き殴る。今日の週刊文春出版差し止め問題と京都の鶏インフルエンザ問題(筑紫哲也のニュース23問題)に付いてだ。
まず筑紫哲也のニュース23、多事争論について補足しておこう。結局このインデックス
http://www.tbs.co.jp/news23/taji/souron04.html
からは問題の
http://www.tbs.co.jp/news23/taji/s40302.html
これが抜かれたままだな。このままでは「すべての養鶏業者は信用おけない」ととられかねない表現になっている。筑紫は発言を訂正するなりすべきだろう。
しかしこのコラムにはこのような表現上の問題だけでなく一つ見落としているものがある。筑紫は養鶏業者が廃棄をした場合の補償をする事が食の安全にはつながらないというような論理を振り回しているがこれには無理があるだろう。どんな形であれ補償があれば補償が無いよりは食の安全は確保されるだろう。ようはBSEの際に見られたような不正行為がはびこらないかという危惧を言いたいのだろうが、不正行為がはびこったところでそれよりも食の安全の方が優先するとなれば補償すれば良いだろう。そして不正行為の摘発もすれば良い。異なる問題を混ぜて論じても意味が無い。
最後の段で「自己責任」に照らして養鶏業者への保護と小泉政権の掲げる「自己責任原則」が矛盾する、つまりはお手盛りではないかという事を言いたいんだろう。確かにその通りだ。政治なんて物は利害の衝突、調整でしかないのであって、農村部に支持基盤を置く今の小泉政権自民党が都市部のサラリーマン層に「自己責任」を付きつけつつ農村部に「保護」を差し出すのはなんの矛盾も無い。自然な流れというものだ。ただ、そんな不公正を許すかどうかということはまた別の話だ。
話はちょっと横に逸れるが坂口厚労相が年金に関する国会答弁で「給付も手厚く、負担も軽くなんて方法は無い」と答弁していたが嘘八百だ。ある。東南アジアだのもっと広くアジア全般、アフガニスタンイラクも含めたって良い。さらにアフリカからガシガシ移民を受け入れれば良いんだ。今の厚労省の試算だって出生率に関して極めて楽観的な数字を元に試算している。こんなものは「大本営発表」と何等変わらない。このままの愚作愚策を続けていけばどのみち年金なんて物は破綻する。
http://www.ipss.go.jp/Japanese/newest02/3/z_5.html
年金だの厚生官僚だのの話をはじめると際限が無いのでここでおくが、つまりこういう事だ。新聞だのテレビのニュースを見ていると彼等は「百円と百五十円、どちらを払いますか」と聞いてくるわけだ。この議論のフレームに乗ってしまってはいけない、「一銭も払わない」という選択肢だってあるのだ。与野党の支持基盤だの、農村が手厚く保護されている、我々の食生活を人質に不公正がまかり通っている。などという議論をしたところで解決なんぞ見えてこない。
鶏インフルエンザが蔓延したところで、それは養鶏業者の責任ではない。彼等も補償されるべきだろう。しかし彼等の損失だけに頼って食の安全は有り得ない。つまり彼等が安心して怪しい鶏を廃棄できれば良いんだ。簡単じゃないか。こういった不測のリスクをヘッジするもの、それは「保険」だろう。国が基金でも積んでちゃっちゃと農協の尻を叩いて保険を作れば良いんじゃないか。農協はこういった時の為にこそあるんだろう。都市部の土地を押しつけられて損失出してるだけが芸じゃないはずだ。
なぜ筑紫はこういったところに目が行かないか。筑紫批判本にもあったように彼はニュータイプ第一世代なんだろう。早すぎる新人類なのかもしれない。文化だのには目が行っても算盤勘定は苦手な旦那サンなんだ。

次ぎ!

週刊文春の出版差し止め

週刊文春の出版差し止めだ。これもあれこれ言われている。「出版の差し止めは言論の弾圧だ」「個人のプライバシーは尊重されなければならない」どちらも正しい。実際に読んでみた。(はいはい買いましたよ、んでオークションにでも出そうかと思ったら、そんなバカが
http://search.auctions.yahoo.co.jp/jp/search/auc?p=%BD%B5%B4%A9%CA%B8%BD%D5&auccat=0&alocale=0jp&acc=jp
この時点で430人から居やがるの。
記事を読んだけど、たいしたネタでもない。文春も娘と真紀子本人ぐらいのケジメをつけりゃ良いのに。最低でもこの事柄に真紀子がどのようにアプローチしたかぐらい取材しろよってのあるのは憶測だけじゃないか。ある意味こりゃ言論の自由をかざして個人のプライバシーを暴くマスゴミの勇み足ってもんだ。普通なら出版して後にプライバシーの侵害ってんで損害賠償でもされて敗訴って流れだろうね。
ある意味では出版差し止めも英断かもしらん、個人のプライバシーは一端流出してしまったら回復はできないからね。酒鬼薔薇君の顔写真でもこの英断があっても良かったかもしれない。
マスコミに出版差し止めは死刑だとか、他の記事もあるんだからとか言う意見もあったがそうは思わない。本当に他の記事が公益性があるのならばもう一度、件のネタだけ抜いて刷ればいいじゃないか。それができないのは結局出版だの言論だの言ったところで商売であるって事だろうがよ。商売に個人の、それも小娘のプライバシーをネタにして金に替えるんじゃないよ。他に叩く物はヤマほどあるだろう。
なのでわたしはこのような出版差し止めはアリだと。先ず言っておく。松本サリン事件の頃の週刊新潮なんぞ軒並み差し止めておけば、今になってみれば新潮社も裁判所に手を合わせてお礼するだろうよ。マスコミ無謬論なんて有り得ないし、個人のプライバシーは相互批判に馴染まない。言論の自由を守る者は先ずは何をおいてもその言論で飯を食っているジャーナリスト、出版社でなくてはいけない。

さて、この辺りまでは見聞きした議論なんだが。ここで見過ごされている事がある。「私人のプライバシーは尊重され、それは出版の自由よりも上位にある」と思うのだが、だったらすべての「私人」は出版の前にプライバシーが保護され得るか。できるわけない。雑誌だのなんだの、マスコミが公表する前にゲラを見るだの私人がチェックできるわけない。結局今回のような事例が積み重なり、出版差し止めがOKと言う事になれば、実際に出版差し止めができるのはほんの一部の人間に限られてしまう。松本サリン事件のKさんはゲラチェックなんぞできるわけが無いから新潮社はやっぱり真っ青になって謝罪をするはめになるだろうし、中川秀直は愛人とのベットルーム写真を出版差し止めできて体重がもう10kgぐらい増えているだろう。酒鬼薔薇の顔写真にしたって流れていた事だろう。
つまり、出版差し止めできる/できないということで社会が段裂するってわけだ。そして本来は公表され、批判されるべき公人のプライバシーとも言えないプライバシーは公表されず、相変わらず保護されるべき私人のプライバシーは奢りたかぶったマスコミの手で飯の種にされていくわけだ。

そういった意味で、この出版差し止めにはNOを突き付けるしかない。

つーか、だから既に終わってるのよ。こんな本音と建前の交錯するマスコミって情報ソース自体が実体を失いつつあるのよ。だって、酒鬼薔薇の顔写真にしたって、中川の愛人の膝小僧にしたってインターネットで見てんだもの。そして今も件の週刊文春ヤフーオークションで売られているんだもの。(つーか、その内誰かが記事を打ちこんで流したりするんじゃない?)



リファ返し
http://d.hatena.ne.jp/tzetze/20040319
わたしと(キタノ)が串刺しにされてるよ。
コメントがあるとうれしいんだけど。
つーか、虫の居所が悪くて書いた文章に回虫君が反応すると言うのもなんというか。話は変わるけど、某氏は一度「回虫ダイエット」に挑戦すべき。

3月26日付記
昨日発売された週刊文春に記されているところによれば、田中側はゲラを入手していなかったそうだ。裁判所の申し立ての経過で文春側から裁判所に発行前の雑誌を提出したということらしい。