週刊文春の出版差し止め

週刊文春の出版差し止めだ。これもあれこれ言われている。「出版の差し止めは言論の弾圧だ」「個人のプライバシーは尊重されなければならない」どちらも正しい。実際に読んでみた。(はいはい買いましたよ、んでオークションにでも出そうかと思ったら、そんなバカが
http://search.auctions.yahoo.co.jp/jp/search/auc?p=%BD%B5%B4%A9%CA%B8%BD%D5&auccat=0&alocale=0jp&acc=jp
この時点で430人から居やがるの。
記事を読んだけど、たいしたネタでもない。文春も娘と真紀子本人ぐらいのケジメをつけりゃ良いのに。最低でもこの事柄に真紀子がどのようにアプローチしたかぐらい取材しろよってのあるのは憶測だけじゃないか。ある意味こりゃ言論の自由をかざして個人のプライバシーを暴くマスゴミの勇み足ってもんだ。普通なら出版して後にプライバシーの侵害ってんで損害賠償でもされて敗訴って流れだろうね。
ある意味では出版差し止めも英断かもしらん、個人のプライバシーは一端流出してしまったら回復はできないからね。酒鬼薔薇君の顔写真でもこの英断があっても良かったかもしれない。
マスコミに出版差し止めは死刑だとか、他の記事もあるんだからとか言う意見もあったがそうは思わない。本当に他の記事が公益性があるのならばもう一度、件のネタだけ抜いて刷ればいいじゃないか。それができないのは結局出版だの言論だの言ったところで商売であるって事だろうがよ。商売に個人の、それも小娘のプライバシーをネタにして金に替えるんじゃないよ。他に叩く物はヤマほどあるだろう。
なのでわたしはこのような出版差し止めはアリだと。先ず言っておく。松本サリン事件の頃の週刊新潮なんぞ軒並み差し止めておけば、今になってみれば新潮社も裁判所に手を合わせてお礼するだろうよ。マスコミ無謬論なんて有り得ないし、個人のプライバシーは相互批判に馴染まない。言論の自由を守る者は先ずは何をおいてもその言論で飯を食っているジャーナリスト、出版社でなくてはいけない。

さて、この辺りまでは見聞きした議論なんだが。ここで見過ごされている事がある。「私人のプライバシーは尊重され、それは出版の自由よりも上位にある」と思うのだが、だったらすべての「私人」は出版の前にプライバシーが保護され得るか。できるわけない。雑誌だのなんだの、マスコミが公表する前にゲラを見るだの私人がチェックできるわけない。結局今回のような事例が積み重なり、出版差し止めがOKと言う事になれば、実際に出版差し止めができるのはほんの一部の人間に限られてしまう。松本サリン事件のKさんはゲラチェックなんぞできるわけが無いから新潮社はやっぱり真っ青になって謝罪をするはめになるだろうし、中川秀直は愛人とのベットルーム写真を出版差し止めできて体重がもう10kgぐらい増えているだろう。酒鬼薔薇の顔写真にしたって流れていた事だろう。
つまり、出版差し止めできる/できないということで社会が段裂するってわけだ。そして本来は公表され、批判されるべき公人のプライバシーとも言えないプライバシーは公表されず、相変わらず保護されるべき私人のプライバシーは奢りたかぶったマスコミの手で飯の種にされていくわけだ。

そういった意味で、この出版差し止めにはNOを突き付けるしかない。

つーか、だから既に終わってるのよ。こんな本音と建前の交錯するマスコミって情報ソース自体が実体を失いつつあるのよ。だって、酒鬼薔薇の顔写真にしたって、中川の愛人の膝小僧にしたってインターネットで見てんだもの。そして今も件の週刊文春ヤフーオークションで売られているんだもの。(つーか、その内誰かが記事を打ちこんで流したりするんじゃない?)



リファ返し
http://d.hatena.ne.jp/tzetze/20040319
わたしと(キタノ)が串刺しにされてるよ。
コメントがあるとうれしいんだけど。
つーか、虫の居所が悪くて書いた文章に回虫君が反応すると言うのもなんというか。話は変わるけど、某氏は一度「回虫ダイエット」に挑戦すべき。

3月26日付記
昨日発売された週刊文春に記されているところによれば、田中側はゲラを入手していなかったそうだ。裁判所の申し立ての経過で文春側から裁判所に発行前の雑誌を提出したということらしい。