アルコール越しの風景

(1)
あるヒトに呼び出されてある店に行った。店に入るとそのヒトはまだ来ていなかった。いつもの事で店のスタッフも当たり前のように彼のボトルを出してセットをはじめた。店はカウンターに2つのボックスというありふれた作り、その日もカウンターはほぼいっぱいという客の入りだった。
やがて彼が来てボックスに移る事になった。ありふれた世間話とお互いの近況報告、それに共通の知人の消息などを交換してから、彼が鞄から資料を取り出していよいよ今日の本題が切り出された。話自体は非常に単純なものでほぼ5分で輪郭が掴め、それ以降の彼の話は単にわたしの推測を補強するだけだった。わたしは彼の話を聞くふりをして時間つぶしにカウンターに座っている中年カップルを観察していた。夫婦にしてはちょっと年が離れている。その内男性は隣に座った若い男と話しこみ始めセットの様子などから実は3人連れである事がわかった。
「あの3人、気になるか」一通り説明を終えた彼が突然切り出した。「気になりますね」わたしは彼等を観察しながら応えた。女は30代中盤。着飾っているが所作に玄人臭さがない。真中に座っている中年の男は50を超えているだろう。おしだしも効きどう見ても素人には見えない。若い男は30代、少々無理のある若作りといった感じか。どこか”お水臭い”雰囲気が漂っている。「あいつらな、詐欺師なんだよ」彼が突然囁いた、わたしは視線を彼に戻した。単なる冗談とも思えない。わたしは身を乗り出して続きを促した「大したヤマを張ってるわけじゃない。そっちは面白い話でもない。ただな、あの3人の関係はちょっと面白い」
実はこの女性は中年男と若い男の被害者だったのだそうだ。若い男はホスト上がりで当時は冴えない商社に居た。そこの給料だけでは彼の派手な生活は支えられない、やがてあちこちでペテンを掛けている中年男と組んで美人局を計画したらしい。若い男が「出会い系サイト」で女性を引っ掛ける。その後にその女性から金を引くという算段だ。もしも女性が既婚ならば若い男も既婚であるとアプローチをするらしい。そしてホテルへでも連れこんでその様子を中年が写真に撮る。やがて男と被害者の女性の元に中年が探偵を名乗って表れる。「この写真を買いとって貰えませんかね」ここでミソは若い男もこの強請りにかかっている被害者であるという事にするところにあるらしい。中年が単独で悪徳興信所の調査員を装うわけだ。この時中年が差し出す提示額はあらかじめ若い男が被害者の経済状況から割り出した金額になる。例えば被害者が50万程度は動かせるようなら100万とか120万円を提示する。その場では被害者と若い男は「考えさせてくれ」という事にして中年の元を離れる。そしてあらためて被害者と若い男は会って善後策を練る。若い男は被害者の顔色を伺いながら提示額を折半するように仕向ける「君には迷惑を掛けられない、このお金は全部僕が払う」ぐらいは言うのだろう。こうして被害者から金を引き出してどこの誰とも判らない中年の悪徳興信所の調査員に支払ったという事にする。そして「もうこの関係を続けるのは危険だ」となる。
ところがここに困った被害者が居たと言う訳だ。短いアバンチュールで完全に若い男に嵌ってしまって旦那にすべてを打ち明けてしまった。即離婚が持ちあがり被害者は若い男の元に駆け付けて来る。若い男にはもちろんそんな気はない、金は入らない女は押しかけてくる。ここからどのような愁嘆場が有ったかは判らない。結局女は中年の元に入り、今では彼等の「仕事」を手伝っているらしい。
若い男も商社を辞め、アルバイトの詐欺師から本格的な詐欺になったらしい。「あの女を餌にして、正統派の美人局もやってるみたいだぜ」そんな彼の声を耳にしてわたしはその3人を盗み見た。中年が何か大きな声を出して若い男の背中を叩いた、若い男は恐縮して小さく頷いて返した。それを見て女が手で口元を隠して笑う。

(2)
行き付けの店で一人で飲んでいた。そこに顔見知りの客が入って来た。その店では“パパ”と呼ばれている温厚な老人だ。ちょっとした商売をしているらしい。いつもは一人で来るのだが今日は珍しく若い男を連れている。“パパ”はわたしを見つけると挨拶をして隣のカウンターに席を取った。お気に入りのメンバーが前についてあれこれ話ながら若い男とは自己紹介などをはじめた。やはりはじめての客なんだ。
しばらくして背中を叩かれ老人がわたしに指輪を見せた「これ、似合うだろ」不釣合いの指輪が老人の指にあった。幅広のリングに過剰な装飾、真中にはこれ見よがしの大きなダイヤが嵌められている。いくら暗い店とはいえ怪しいのは判る。せいぜい24金、下手をするとメッキかもしれない。それに金のリングにこんな細かな装飾があるわけがない、潰れるのが落ちだ。リングがそんな状態なら真中の宝石(いし)も甚だあやしい。
しかしそんな事はおくびにも出さず「すごいですね」と応えておいた。「だろ、これな、よっちゃんが持ってきてくれたん、形見なんだよ」よっちゃんと呼ばれたその若い男は大阪から来たらしい。“パパ”の古い友人の子供だということだ。その友人が亡くなり、遺言で指輪を持ってきたということだ。
形見にしてはカットが潰れていない。使っていなかったんだろうと思った。そこまではたとえどんな物であっても気持ちの問題。安物であっても形見は形見と聞いていた。
話題というのはアルコールの海に浮かぶ小舟のようなものだ、“パパ”もお気に入りのメンバーと話していたり、わたしもわたしに付いたメンバーと話していたりして。その亡くなった友人の話は出たり入ったりを繰り返した。やがて“よっちゃん”に“パパ”が今度の仕事がんばりなさいよ、と檄を飛ばしている声が耳に入った。そのあとの“よっちゃん”の一言にわたしの酔いが覚めた、わたしの“妖怪アンテナ”が反応を示したのだ。「ご迷惑はおかけしません」―「ご迷惑をおかけしません」という言葉は迷惑をかける可能性がある時に言う言葉だ。そしてその可能性は言った人間の誠意によって変わる。誠意の無い人間が「ご迷惑はおかけしません」と言う時は殆ど必ず「ご迷惑をおかけします」と言っているに等しい」―
それ以降彼等の話を聞くとも無しに聞いていた。判った範囲はその友人が亡くなったのは去年の夏ごろ、つまり半年以上も過ぎていると言うことだけだった。
“パパ”がカラオケで軍歌を歌ったりわたしも何曲か歌ったりしている内に例のイントロが流れた。あの歌だ、長渕剛の「とんぼ」。まったく身勝手な男が、自己愛の塊のような男が自分を慰撫する為だけに歌うような歌。わたしはこの歌を歌う奴を信用しないし、ヒトによっては真剣にその場で殴りたくなる。誰が歌うのかと思っていると“よっちゃん”が歌い始めた。彼の歌声にわたしの妄想が炸裂した。
半年も経ってからの形見分け。形見とは言っても新品の指輪。新品の指輪とは言っても一癖もありそうな一品。その安っぽい金メッキの輝きにその情景が浮かんで来るようだった。
“よっちゃん”は金に困っていたんだろう。やがて彼の与信枠は一杯になった。金融屋はこう囁いたんじゃないだろうか「誰か保証人でも付けてくれれば貸せない事も無い」。保証人、もうこの段階で金融屋は“よっちゃん”が借財を返すなどとは期待していない、その保証人を嵌める事しか頭に無い。つまり金融屋と“よっちゃん”の二人三脚の詐欺でしかない。何人この二人三脚に嵌ったのかは判らない、やがて“よっちゃん”は死んだ父親の友人を訪ねる事を思いつく。ナンバかどこかで適当な指輪を買って「これ、父が生前に遺言であなたに残した形見の品です」“よっちゃん”はその友人の語る父親の話を聞く。どんな気持ちで聞くのだろうか。あれやこれやの中で友人たちは遺児である“よっちゃん”の現状も聞くことだろう。その時に「実は…」“よっちゃん”は切り出すのだろう。
歌い終わった頃、わたしの“妖怪アンテナ”はビンビンだった。しかしこんな妄想をどう“パパ”に切り出せるだろうか。“パパ”とて一人前の人間だ。分別もあるだろう(その分別を乗り越えて入りこむのも、また彼等詐欺師なんだが)
やがて本当に「ご迷惑」が現実の物となるかもしれない。しかしそれでも“パパ”はその「ご迷惑」の重みと指輪の重みを味わう事だろう。

すべてフィクションであり、登場する個人、団体はすべて架空の存在であります。

推敲しないかんね。