再生医療について 1/3

 日は中天から徐々に西に傾きつつあった。それまで、頭を真上から押し付けるかのように襲ってきた熱気が徐々に後頭部に移り、肩や背中に滲んだ汗を蒸発させる。そして、その熱気がまた汗を滴り出させた。

 足元の小石はささくれ立ち素足に突き刺さる。今までは、自分たちがこの大地の上に居ることすらも忘れかけていたが、ここでは大地さえも痛みをもって自分たちにその存在を主張するかのようだ。少しでも歩きやすい所をと周りを見回すが、おおよそ一面同じ土色の風景が広がるばかりだ。ところどころに植物らしき群生は見えるものの、彼らはそこを避けるように進んだ。しばらく前にその群生のひとつに行き当たり、えらく難儀をしたのだった。この敵意に満ちた大地は、そこから生える植物すらも彼らを攻撃するかのようだった。というのも、その群生は乾いて硬くなったいばらとあざみばかりで、彼らに一粒の実はおろか、一時の安らぎさえも与えず、避けて歩いていても、その周囲に枯れて風に飛ばされた棘や小枝を振りまき、彼らの素足を痛めつけた。
 彼は振り返ると女を待った。女は表情もなく足を引きずるように彼を追っている。
 腰に巻いたいちじくの葉は乾いてちぎれ、もうほとんどその意味をなしていない。
 曲線の豊かな体のくびれに沿って汗が流れ、吹き付ける砂がこびりつき、更にその上を汗が流れている。長い髪は風に吹かれるにまかせて広がり、終始のつかない姿になっている。しかし、その髪から時折覗く眼光は、言いようのない光を放ち彼をたじろがせた。
 やがて女が追いつくと彼も女の歩調に合わせるように歩き始めた。

 やがて大地は徐々に勾配をはらみ、とうとう両手を付かなければ歩を進めないような岩場へと変わった。日が照りつけ岩を焼き、その岩が両手、両足を焼く。彼は思った。アレの怒りはこれほどのものだったのかと。人間である自分に、他の動物のごとく四足で進むことを強いるほどに強かったのかと。そう思うとその怒りをかった己の行為の重さに思い至り、体の芯が凍るかのように身がすくんだ。しかし、やがて、喉の渇きに突き動かされるように歩を進めるにしたがって、今まで味わった事もないような感覚が目を醒ますのを覚えた。背中から胸、そして両手両足に燃えるような熱さを感じる。この熱さは照りつける太陽のせいでも、焼けた岩のせいでもない。彼の内から生まれたものだ。いま、彼は女と同じ光を目に湛えはじめ勢いよく岩を蹴りつけるように歩を進めた。

 岩場を登りきると彼は女を待った。はるか日の沈む方向に自分たちを捨てた「園」が見える。手前に時折キラキラときらめく4つの光が認められ、あやしくゆらいでいる。その光の中心に目を凝らすと、四つの頭と四つの翼をもった何かが手らしきものをふり、それらを操るのが見えた。

 やがて女も彼の傍らに追いつくと、振り返り、その情景に目を凝らし始めた。

「もう暫く行くとペラス(川)か、ヒデケイ(川)に行き着くだろう。そうすれば水を飲める」彼は女の気力を取り戻すためにそういった。しかし、なぜ自分がそんな事を知っているのか、そんな疑問は暫く後まで気付きもしなかった。
 女はその彼の言葉が耳に入っていないかのように、じっと「園」の様子に見入っていた。
「ケルビムね」やがてポツリと女は言った。
「ヤツはケルビムを置いて私たちが『園』へ戻れないようにするつもりよ。あの煌いているのは炎の剣よ」女のその言葉に彼は「ああ、そうか」と思った。

「さあ、行こう」彼は女を促した。
「こんなことになるんだったら、あの『いのちの木』の実も食べてやるんだったな」女がそうつぶやくと彼は「俺は良かったと思っているよ。いい選択だった。これが逆だったらたいへんだった」と応え歩き出した。
「どういうこと?」女は真意を探ろうと顔を覗き込むが、彼は行く手に目を向けたまま続けた。
「もし、あの時『いのちの木』の実を選択していたら、俺たちは死なない、不死のままあの『園』でアイツの言いなりに暮らすことになる、自我もないままね」彼の言葉を女は反芻するかのように聞いた「けれども俺たちは「『知恵の木』の実を食べたんだ」彼は女を見た、女も彼を見上げた「『知恵の木』の実が俺たちに授けたこの知恵があれば、やがて『いのちの木』など自分たちの手で作り上げてやることもできるさ、きっとね」
彼はまた歩き始めた。女も歩き始めた。
 日は西に傾き、彼らの行く末に長い影を伸ばした。
 その二人の後ろで、一匹の蛇が舌をちょろつかせながら彼らの後に従った。

(次回に続く)