年金テロ? −重みと緊張感

元厚生事務次官の山口剛彦夫妻と吉原健二の奥さんが殺されたらしい。ともに年金に関わっていたらしく、「すわ年金テロか?」と睨まれている。

テロも戦争も政治の一形態である。戦争が対等な、または対等に近いもの同士が行う政治形態であるのに対し、テロは非対称の者が行う、つまり「弱者」が「強者」に対して行う政治行動だ。しかし戦争にしろテロにしろ、選択肢として賢いものとはいえない。(これで社会の年金問題に対する厚生省への批判が緩む可能性もある)
命を奪うまでしなくても「政治目標」を果たす方策は様々に考えられてしかるべきだろう。(死刑もまた「命を奪ってまで行う政治行動だ」という意味で視野の狭い政策といえる)

戦争−テロ−死刑 は、このような意味でリニアにつながっている。

1988年に「厚生年金保険制度回顧録」という本が出版されて、花沢武夫がおおよそ次のように言っていたそうだ。「どうせ支払は二十年先なんだから、集めた金なんかどんどん使っちまえばいいんだ、使ってしまってお金がなくなったら賦課方式にすればいい」「これだけのお金があったら天下り先は幾らでも用意できる」(参議院本会議 櫻井充質問 平成19年6月29日)

つまり、緊張感なく「国民をなめきっていた」わけだ。そのしっぺ返しとは言えるだろう。(もちろん、本来しっぺ返しを受けるなら、本人が受けるべきで、奥さんを襲うというのは稚拙に過ぎるだろう/本人であっても命まで奪いというのは誤りだとはすでに書いたが、念のため)

チラッと見たところでは「トカゲの尻尾切り」というような陰謀論も起きているし、逆に、厚生省の役人が悪いのではなく、政治の貧困だ。というような官僚擁護論も起きている。日本という社会を考えると後者が趨勢を占めかねない。ああ、なんと「良いヒト」が多い国/社会だろう。

高齢自殺者の年次推移(財団法人長寿科学振興財団)

内閣府は毎年「高齢社会白書」というものを出すことになっている。(毎年、年次更新するだけで、中身もペラペラの代物だが。ネットでもここで読むことができる。

ここにあるこの代物たちを、こうやってクエッて見ると、官僚というものの正体が垣間見える。

「(高齢者の)自殺」については良くて軽く触れてある程度、「自殺」という文言すら「火災死者数(放火自殺者を除く)」という毎年のテンプレートにあるばかりだ。

個人には「怨み」を持っても仕方のない事だ。ましてやそれを晴らしたとて。しかし、官僚機構に対する批判は緩めてはならない。また、これを「重く」受け止め、「緊張感」を持って業務を推進するのが本来の国民の僕たる職業人の務めだろう。「国民」の中には人殺しもいるのだ。

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