あめぞうとぁゃιぃ2chへの流れの中で失われたもの

 −そして「ブロゴスフィア」または、「ブログコミュニティへ」の希望

これは「2chはあめぞうの正当な後継ではない」「「俺はうんこもらした(わらい)」と「帰れ!」」の続きになります。

あめぞう」と「ぁゃιぃ」において外見的に直ぐに気がつく違いがあります。「ぁゃιぃ」では掲示板の名称が内容を表していませんでした。


後に一部「@時事政経」などという板もありましたが、どちらかというと「隔離政策」(?)であって、一部面白いヒトの専門板の趣があったように思います。語られる事も時事問題というよりは、それを如何に語るかという事に重きが置かれた居たように思いました。もう、その他の板と言えば、古いもので「@県人会」であるとか、「@プロホス」「@さくら」更に「@本店」「@夜の部」「@暫定」など、どちらかといえば管理者、開設者によってカラーが出ていたように思われます。「あめぞう」もそういう意味では解説者である「HNあめぞう」の名前をそのまま付けたサイトだったわけです。
しかし、「あめぞう」においては興味毎に掲示板が複数開設され、更に現在も2ch等で使用されている「スレッドフローティング方式」によって各興味分野でも話題によって事実上掲示板が分かれて存在するかのような運用ができるようになったわけです。(実は更に 天才(?)infohands によってマゼリータ方式までインプリメントされたのですが、これは自動車の歴史におけるタッカーやら6輪タイレルのような伝説的な位置に置かれるのかもしれません)
あめぞう」(後期)においては、話題は分野別にページ毎に分かれ、それぞれの分野での一番旬の話題が常にページの上位に送られるという方式が取られました。こうなると特定の興味分野を持った者が集まるという効果があったのだと思います。
更に、それらの興味分野を離れ、「速報」「速報2」「広場」などが開設され、ほとんど一日中(それこそ夜中、夜明け間際まで)毎日毎晩、会話が交わされていました。
この「あめぞう」と「ぁゃιぃ」の相違は、それぞれの話題、事物に対する「あめぞう」と参加者へのヒューマンインタレストを尊重する「ぁゃιぃ」という切り分けができるのかもしれません。わたしはそもそも「マジレス厨房」と「あめぞう」でも評されていたのですが、それでも徐々に「あめぞう」において違和感は無くなった様に思います。(というのが一番の勘違いなのかも知れませんが)しかし「ぁゃιぃ」に行けば完全に浮き上がりました。(今でもわざと「読者」で投稿すると「変な奴が来た」と返されます。すいませんね)
ぁゃιぃ」においては充分に弁えた個々人が、シニカルに相互承認を行うという姿が場の空気であって、それをわざわざ「マジレス」する「厨房」は場にそぐわない、更にその「厨房」が「相互批判」だのを持ち込めば場のバランスは崩れます。
北田の分析を使えば、「人間であること=反省的であること」を希求する、シニカルな実存主義というものが成り立っていて、それが「ロマン主義シニシズム」に際どくなっていない、というのも、そもそも相互に「繋がりの社会性」を外部に求める必要の無い「弁えた」参加者が想定されているからでしょう。
「自己がアイロニカルであるとは、自己と他者の外部にある第三項によって保証されず、行為によって接続する他者によって逐次承認正当化されなければならない」という考え方はこのバランスの中では成り立たないのではないかと思われます。主催者自信が「俺はうんこもらした(わらい)」と自己をさらけ出し、それを承認する場においては、参加者が素直に自己を曝け出せば良いのでしょう(勿論、社会的なしがらみを断ち切るという防衛は個々人が用意しつつ)その時、逐次承認されるものは「お互い人間」であること。「お互いどうしようもない人間」であることなのではないでしょうか。
この場の空気が「@治」つまり、太宰治に繋がっていくのではないかと推測します。
ここには高度な人間理解があります。(てな事を勝手に言わせてもらいます)
あめぞう」においては興味は事物に移ります。確かにそこでも「シニカルな実存主義」の香りはあったのかもしれませんが北田の分析で言うと「消費社会的アイロニズム」に逆転していったように思えます。当時、個人が「ホームページ」を開設することが増えました、そこには不用意に個人情報(住所や氏名はおろか電話番号まで)が表示されていたりもしました。そういったサイトを観察することが度々起きたわけです。
それまで少ない参加者の「ぁゃιぃ」においてネタにされていたそのような個人サイトの存在が「あめぞう」に知れ渡ると一気にサイトへの来訪者が増えます。そしてそれまで細々と観察を続けていたネタが潰れるという事例も有ったわけです。「あめ厨はサイトを潰す」という批判もむべなるかなです。
あめぞう」においては、このような様々な事物がネタとして消費されていきました。そしてそれらのネタを静かに見下ろしていた言葉が「大本営発表以外の情報」です。
野党精神を表明したものだったのでしょうが、これは同時に匿名掲示板が個々人のヒューマンインタレスト、それも自分自身へのインタレストを離れ、社会的な外の事物に向かって離陸しようとした宣言だったのかもしれません。

そして、「あめぞう」にあったもう一つのコンテンツ、それが「株掲示板」だったのです。
あめぞう」から「2ch」への移行期に少なからぬ「あめぞう」ユーザーは「あめぞう(仮)」「あめぞう2000」また「あめざー」へと移っていきました。しかし、この移行において「あめぞう(本家)」の「株掲示板」は移行しなかったのではないかと思われます。また、それと同時にもっともクリティカル(?)に時事問題を扱っていた隔離版「思想政治」も参加者が激減します。

ちょうど「あめぞう」全盛期というのは、各企業がインターネットのインフラを整備した頃とオーバーラップします。それまで個人が一日中インターネットに接続できるという環境にあるというのは特殊な事だったのだと思います。インターネットプロバイダの関係者、大学などの研究員、学生、一部ネットを利用したソフトウェア技術者、出版関係者など。パソコンに一日向き合っていても違和感のない者でなければ利用は難しかったことでしょう。そのような中で「株のトレーダー」というのは常に情報をチェックしなければならない業務として少なからぬ参加者が居た事は容易に想像できます。それは今でも YAHOO! などの株掲示板の動向を見ていると推測できそうな気がします。

あめぞう」後継の各サイトはこれら「株」関係者を取りこぼしました。

株式市場というのは情報の産業です。野党精神など必要もありません。「大本営発表」だろうと「大本営発表以外」だろうと、有効な情報は飯の種になります。また、彼等は絶対の自信を持っています。何故なら失敗した奴は生き残っていないからです。生き残り続けているヤツラは今までの自分の情報分別に絶対の自信を持っています。(わたしから見ると、それは「<まだ>失敗していないに過ぎない」のですが)
そんな彼らが「嘘を嘘と見抜けないと、匿名掲示板を使うのは難しい」という2ch主催者である「ひろゆき」の発言を受け入れたのはとても分かりやすい。彼等は常に「嘘を嘘と見抜く」洞察力と、ヒトよりも早い情報収集力が有るかのように錯覚したのでしょう。
確かに「早い」
そして、2chがマスメディアに露出し始めるとそれまで社会からの情報を消費する立場であった「匿名掲示板」が、逆に社会に対して影響力を行使し始める。
このような流れの中で「身捨つるほどの掲示板はありや」と自嘲的に居場所を探していた対象の匿名掲示板が、社会に対して野党精神を発揮し始め、やがて一つのメディアとしての影響力を獲得していったのかもしれません。

しかし、この流れの中で参加者個々人はどうなっていったのでしょうか。「シニカルな実存主義」に佇んでいても、自分は「どうしようもない」と自覚していたにせよ、他者もまたそうであり、人間はそうではないのか。といったような共通了解事項が崩れ、外に第三項を求める。その媒体が「ナショナリズム」であり「反市民主義」であるならば、単なる個々人の実存の衰退化ではないのか。

ちかしい「あめぞう」後継の掲示板群に群がる者(わたしも含む)が2chを「壷」、「ボーグ」(「ツボッグ」)と評したのはあながち外れていないのではないかと思える。

(ああ、結語まで後少しだけど。お風呂に入ってきます)