不謹慎という言葉

猫せんべいからえらい騒ぎになっているけど。

「不謹慎」という言葉と「名誉毀損」という言葉はどちらもある意味で似ている気がする。
どちらも社会を成り立たせる上で必要とされている概念であり切り分けなんだろうけど、本当にいまのままでの扱いで良いのだろうかという気がしている。

本来出会いそうもないような個人やらコミュニティが、当たり前のように出会う可能性のあるインターネットという仕組みにおいて、片方では容認される文化が、こなたでは「不謹慎」とされる。
制限された中で成り立っていた「名誉」が外部からの情報で「毀損」される。
外部からの評価で「不謹慎」とされるからと言って、内部でそれを抑制することはない。文化をどんどんトリミングし、萎縮させるだけだろう。「不謹慎」と思うなら外部に留まれば良い。
外部からの情報で「毀損」されるような「名誉」には果たして根拠があったのだろうか。また、その「名誉」を尊重することの意味はなんだったのだろうか。

「不謹慎」という概念と、「名誉毀損」という概念について、再考すべきなんじゃないんだろうか。

※我ながら、ちょっと無理筋があるようにも思う。どうも「名誉毀損」の概念に引っかかるものを感じていた。「匿名の責任性」とかってのと絡むかもしれない。
そこへ「猫せんべい」の話で「不謹慎」というキーワードが出てきて、外部と内部、それをつなぐインフラとしてのネットという存在を捉えたときに、物理的な条件が外部と内部を緩く区切っていた旧来の概念では社会は成り立たないんじゃないんだろうかという気がしてきた。

五行歌
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「埼玉よみうり文芸」第26回年間賞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news008.htm