誰が銃を持っているか
イラクで武装勢力に拘束されていたイタリア人女性ジャーナリストが開放された。イタリア政府はこの女性ジャーナリストを帰国させる為に「特殊機関員(特殊部隊要員との報道もあり)」に護衛させてイラクを出国しようとしていた。ところが、その車列にこともあろうに米国兵士が銃撃を加えイタリア人特殊機関員が死亡し、この女性ジャーナリストも怪我を負ったという。
イラクで拉致のイタリア記者解放 米軍、検問で銃撃 (朝日)
この事件を聞いてすぐに連想したのは2003年11月に起きた「日本人外交官殺害事」件である。
米国の対イラク開戦を受けて、日本国内では自衛隊のイラク派兵についての議論が巻き起こっていた。そんなさなか、現地イラクで戦争終結、復興に向けての現地調査、調整を行っていた奥克彦参事官(肩書きは当時)と井ノ上正盛書記官(同)がナニモノかに襲撃されて命を落としたのである。
両名の死を政府は重く受け止め、遺体が帰国した際には小泉首相が出迎え、更にその様子がテレビで中継もされた。
イラク自衛隊派兵に反対する人々は、経験豊富な外交官ですら危険を回避できなかった、事実上戦争状態、または危険な混乱状態にあるイラクへの自衛隊派兵への反対の論拠として意見を提示し、政府はイラクの平和再建に向ける両名の意思を引き継ぐとして自衛隊の派兵への「足がかり」とするような主張もあった。
いずれにしても、さすがにこの死を「自己責任」だとか「無謀な死」であると斬って捨てるような論調はなかったようだ。
両名の死は痛ましくも重い死であった事だろう。
さて、この両名の死にはその後様々な疑問が呈示されている。
彼等の遺志を継ぐと言い、自衛隊派兵を推進した者たちは本当にこの死を重く受け止めているのだろうか。わたしにはとてもそうは見えない。
(題名においた「誰が銃を持っているか」という論点に行き着くまでに時間切れ)