非常に危険な誤解


独裁/民主制/指導者

確かに明確な意思決定機構があれば集団は動きやすい。それが集団の民主制よりもエリートによる寡頭政、さらに一人による独裁制と、意思決定にかかる時間(手間)が短ければ効率化されるのは間違いないだろう。
しかし、このような特定集団における事例をそのまま「国」レベルの議論にするのは非常に危険だろう。

任意団体、法人(各種企業だとかNPOだとかを含む)、地方自治体と国を峻別する差は「ヒトを殺す事」ができるかどうかであるように思える。
彼の持ち出している宮台の発言は「サイゾー」に掲載されたものだと思うのだが、それでもこの「ヒトを殺す事」に対する眼差しが欠けているように思える。

…というか、なんとなくこの国では「誰もヒトを殺しなどしない」という嘘によって国という形が成り立っているような気がする。

エリートは、「ヒトを殺す」に値する対向価値を国民に知らしめないまま、それを隠蔽しようとする。そして、隠蔽されたまま何等かの物事が決定されていく。