金を集める

誤:「人の心はお金で買える」
正:「お金で買える心もある」


誤:「経済的に貧しくなると人間は狂気に走ります」
正:「ヒトにはそもそも狂気が眠っている。精神的にも経済的にも貧しくなればその狂気が表面に出てくる。経済的な豊かさは精神的な豊かさを保障しない、つまり、経済的に豊かであっても人間は狂気に走る。経済的な貧しさから表面化した狂気は個別的なものに留まる事が多いが、精神的に貧しいが故に経済的に豊かであっても現前化する狂気は、影響範囲も広く非常に迷惑。早い話が臭いから無駄」


誤:「女はお金についてきます」
正:「お金に女はついてきます」または「自分は女を抱いているつもりでも、女は自分の金を抱いている」

爆弾本「稼ぐが勝ち」9万部突破

まあ、読む気もしないので批判もしない。
こう言った類の本というのは何故あるのか理解が出来ない。一つのフィクションとして楽しむ為のものなんだろうな。「成功者」のエッセーを読んで、全くその真似をしてみても「成功者」になどなれるわけがないわけで。「成功」なんてものはクジ引きみたいなもの。この世には「堀江」の後ろにクジに外れた「堀江」が何千人(?)といるんだろう。

世間では「貧乏とうさん、金持ちとうさん」とか言う本があるそうで。そのポイントは「金の為に働く貧乏とうさんと、金が働いてくれる金持ちとうさん」なのだそうだ。商売人のキモは昔から「種銭」で、生活に追われてヒーヒー要っているヤツら。カードだとかサラ金に手を出すってのは、実はこの「種」を食っちゃってるって事なんだろ。昔から「種籾を食う百姓」は生きていけないというコトなわけだ。見事なまでの「百姓論理」だな。
もう一つ考えをすすめると。よしんば金が自分の為に働いたとして、それがうれしいことなんだろうかな?
昔から金利だけで生活できる金を握っても、それで満足せずに次へ次へと掛け金を上げていくようなヤツラを見てきたけれど。金が働いても人間は満足できないんだろうよ。多分、堀江も同じ理屈。生きていく上で本など出す必要はないんだろう。けれど、違うものが必要なんだ。それは「他者の承認」金を持っていても「他者の承認」がなければ生きていけない。賢いトレーダーは手仕舞いをしているんだろう。これで生きていけるというリミットを設けて引き際を知る。しかし、「他者の承認」を求めるものは「勝ち」を求める。「勝ち」を意識した瞬間から目的と手段が逆転し、常に来る「負け」に絡め取られる。(その「負け」が追跡者の「勝ち」になるって事で、このループはくるくると回る)
目的(生きていく事)を見失い、手段(勝ち)に耽溺する。しかしヒトにとって、「他者の承認」こそがヒトのヒトたる所以なのかもしれない。手段を目的にする事が狂気なのか、目的を目的とすることが狂気なのか。それは判らない。