五輪音頭

連日オリンピックの話題でメディアは楽勝だよな。中には所属選手の活躍で株価が暴騰する会社まであらわれてな。
こうなるとまたぞろ「日本凄い!」とかってプチ・ナショナリズムに嵌りこむ奴らが居るんだろうけど、お前らナチスドイツのメンタリティーに乗っかって恥ずかしくないのかと申し添えておきましょう。何度も言うようだが「日本が凄いんじゃなくて、各選手が凄かったの。更に言うならば、各選手は凄いのだろうし、それを産んだ日本という社会も凄かったのかもしれない(後述)。そこまで譲っても、だからと言って日本人が凄いとか、あなたが凄いわけじゃない」という事。
なんだったっけ?「旅客機の事故で、日本人に被害はありませんでした」とかって歌が有ったわけだけど、これの単純な裏返しじゃない。そういった国を離れてモノを見るということはできないのかね。もったいない事だね。
二日前のエントリーに書いた谷の件だって、なんとなく見ちゃいられないって気がしたね。ここは●嶋にやっぱり死んでもらって遺影でも抱えて貰えば良かったのか。なんて事まで書くと毒舌も過ぎるだろうけど。見ちゃいられなかったのは選手じゃないよ、その後のあっちこっちの書き込みだよ。中畑掲示板とかかな、良く知らないけど。まったく酷いインターネットですね。だな。
勝負事なんてモノは時の運でだな、勝った時ってのはなかなかその人物って奴は判らないものだけど、負けた時に人物が浮き上がって来るよな。
またこれはちょっと話しが逸れるけど、「インターネットにおいては人間の攻撃性が露になる」って話題が有ったんだけど。現実社会とインターネット上の掲示板だのこういったblog だのをみると2つの相違点があるんだよな。一つは「残る」という残留性と、もう一つは少々時間がずれるって事なんだよな。まあ、両方とも「時制」って観点で括れば一つか。居酒屋でテレビ観戦してて「ダメだよ中畑」ってな事を口走るのはまあ良いでしょう。でも終わっちまった試合に「タラ・レバ」を長々と縷縷説くってのは、もう既に勝負事を語る資格が無いって自己表明しているようなもんだね。



なんだろうな。こういったオリンピックを見ていると、「公務員の効率の悪さ」というのを感じるよな。何かって言うと。自転車のトラックさ。
日本には「自転車振興会」って奴があって、年間バカにならない予算を抱えているんだけど、なんだよこの体たらくはよ。特にロードとマウンテンにおいてはほとんど「振興」なんぞされていやしないんじゃないのか。
他にも、「日本船舶振興会」だの「日本中央競馬会」だのがあるが、そう。公営ギャンブルの胴元だわな。そもそも2割5分もカスリを持っていく悪徳胴元なわけだが。こういったところが自転車を振興しているのか、船舶を振興しているのか、桜肉の消費を振興しているのかってと、しているんだろうけど、圧倒的に効率が悪いんだよ。
特に船舶振興会なんぞ早く潰せよ。日本と言うのはそもそも海洋国家であって、潜在的な「舟遊び」のニーズも高い。大きな潜在需要を持っているにも関わらずそれを邪魔しているようにしか見えない。
「総理をねらう男」として「TVタックル」でご存知、愛知県一区選出衆議院議員河村たかしが『国敗れて議員あり』(ISBN:4198618836)という(困った)本を出したんだけど。それに次のような一説が有る。

自由競争というのは行き過ぎが起こる社会を認めることですからね。
事故などが起きたときに、これは仕組みが悪いのか、自由社会ゆえの行き過ぎたことなのか、区別しなければいかんわけです。自由主義社会というのは混沌とした社会ですから。

考えてみれば、現代の「車社会」なんてのは行き過ぎの最たるものだろう。そもそも「車」なんてものは無かった。その危険性に英国では「レッド・フラグ・ロー」という規正法まで産まれた。ひるがえって日本ではこの行き過ぎをどんどん認めた。その挙句が道路は真中を車が通って、人間は端っこに追いやられそこを歩くと言う決まりになった。所々は歩く事すらも禁止された。
こりゃ、行き過ぎだろう。しかし、その行き過ぎこそが社会をより利便にしているんじゃないか。
日本国内の海岸線を見てみると、豊かな「ハーバー」なんてありゃしない。漁港かテトラポットの並びだらけじゃない。そうでなければバブリーな「ハーバー」で。なんとも貧しい風景さ(漁港が貧しい風景といっているんじゃない。バブリーな「ハーバー」が貧しい風景と言っている)。完全に行き過ぎを頭から否定した結果がこれだろう。日本には世紀の愚策と揶揄される英国の「レッド・フラグ・ロー」が溢れている。

ここに先の「○○振興会」が絡む。道路に設置されたパーキング・メーターと同じ理屈だ。まず規制する。しかる後に使いたければ「お上に金を払え」と来る。規制が寄生を生むわけだ。「○○振興会」とはよく言った。
お役所には目的合理性なんてものは無い。本来の目的は設置された法律に謳われた「振興」であったりするんだろうが、いったんそれが動き始めると自己保身こそが自己目的になる。すなわち「振興」されてしまえばそれは自己否定に繋がるわけだ。

また、効率が圧倒的に悪い。それは何故か。彼らは「行きすぎ」が怖いからだ。「事故」を恐れるからだ。様々な試みをしてみれば、そこで失敗するものも出てくるだろう。生活を破綻させるものも出てくるかもしれない。それを恐れるのだ。(「○○振興会」だの「中央●●会」だのは、「お客さん」が生活を破綻させる事は気にも留めない。そうではなく、自分の組織の中で生活を破綻させるものは出さないという事なんだ)なので、その組織の中ではイノベーションは起こらない。前例と下達さえ守っていけば、つまり上席者の身分さえ保障するように振舞っていけば、そのお零れに預かる事が出来るように組織が動く。こんなところから「混沌」は産まれてこないし「振興」なんぞ欠片もすすみようが無い。



貧困がボクシングを強くすると言われるけれど、日本も充分スポーツにかけるしかないほど貧困になったのかもしれない。なんのスポーツか忘れたけれど、バブル期に大学だか高校の才能有る選手が実業団に流れていくという話しがあった。確か野球だったろうか。明日をも知れぬプロスポーツよりは、身分保証の有る実業団を選択するというのは、ある意味しかたがないことだろう。そのヒトの人生選択なんだから、他人の口を挟むことではない。翻ってバブルが弾けきった今になると、そんな選択も同様に「明日をも知れぬ」事となってしまったのかもしれない。
多様性の高まりという観点からすると、この日本の獲得したメダル、つまり「凄い日本!」はよいことの表れなんだろう。