『華氏911』

(ネタばれ注意!って、ドキュメンタリーでネタばれもないけどな。そして最大のネタばれは…)
この映画でマイケル・ムーアは何を言いたかったのかといえば、それは一言「許さん!」だったのだ。
マイケル・ムーアは前作『ボーリング・フォー・コロンバイン』で米国の銃社会が織り成す喜劇と悲劇を描いたわけなんだけれど、あの作品が優れていたのは、単に銃があるという現象を描いただけではなく、銃所持の自由という考え方が、実は米国民の「怯え」「恐怖心」が生み出したものだということを抉り出した事にあると思える。
そう、「恐怖心」が米国の銃社会を産み、支えているのである。米国の銃社会といえば全米ライフル協会が有名で、その名誉会長はあの勇ましいチャールトン・ヘストン*1なわけだが、あの勇ましさの背景には「恐怖心」があるというわけだ。
米国社会において「恐怖心」であるとか、「怯えている」というのは独特の意味を持つのだろうと思う。「チキン!」なんて言葉は最高の侮蔑語だろうし、映画『スターシップ・トゥルーパーズ*2でも最後に持ち出された言葉が「恐怖」だった。
勇ましいチャールトン・ヘストンが、全米ライフル協会が、そして勇猛果敢な銃規制反対派の「愛国者」たちが、その根底に「怯え」を抱えているという指摘は確かに痛快極まりない。
そんな直截なマイケル・ムーアが今度は「許さん!」と言っているわけだ。
同じように映画で申し訳ないけれど、メル・ギブソンの出演した映画で『ワンス・アンド・フォーエバー』という映画が有った。ベトナム戦争時に創設された騎兵師団*3が舞台で。メル・ギブソンは師団を率いるハル・ムーア中佐に扮している。なんでもこの映画自体がハル・ムーアの手記を原作にしているそうだ。この映画で印象的だったのはハル・ムーアの心情だろう。彼は戦場においては真っ先に乗り込み、最後まで残る事を自分に課していた。映画ではその様子を特に丁寧に描写しており、ハル・ムーアは死傷者であろうとその遺体を捜し出し、それが回収されたのを確認してから帰還のヘリに乗り込む。最初の一歩と最後の一歩は彼のものだったわけだ。
実はこのような姿は「礼将」として太公望も定義している。
古今東西を通じて「自分は安楽椅子に座って、他人を危ない戦地に赴かせる事は人倫にもとる」*4というメンタリティーは働く。
華氏911』でもマイケル・ムーアによってその人倫は掲げられる。彼はイラク出兵に賛成した米国議員に我が子を戦場に差し出せと4軍のリクルートパンフレットを突きつける。
米国議員の内で、実際に我が子を従軍させているのはわずかに一人だけなのだそうだ。
米国においてもろくに産業の無い地域というのはある。マイケル・ムーアの故郷であるミシガン州フリントもそのような地域だそうだ。町には主をなくした廃屋が並ぶ。この町では従軍が手堅い就職になっているのだろう。軍を経れば職業訓練奨学金が得られる。陸軍(海兵だったかな?)のリクルーターは町をうろついては若者に声をかける。リクルーターが向かう先は裕福な層の居住区ではない。
ここで映画はブッシュの(多分選挙資金)パーティーの姿をダブらせる。蝶ネクタイ、カクテルドレス、シルクのスーツ。
マイケル・ムーアは語る。(わたしの脳内変換付き)
「米国のこの富裕層を支えるのは、貧困層から集められた若者だ、この若者たちの自己犠牲は痛ましいほどだ」
だからといって、マイケル・ムーアは「階級闘争」なんかを呼びかけ「金持ち打倒!」と言っているわけではない。また、単純に「反戦平和」を訴えるわけでもない。
「彼らの自己犠牲に、わたしたちは約束をしてきたのではなかっただろうか。それは必要最小限の危険なのだと」
つまり、本当に米国が危機に瀕している。民主主義が踏みつけにされている。その時には若者に犠牲を強いる事になるかもしれない。しかし、その犠牲はなんとか必要最小限に留める努力を皆がするべきだし、もしもそこで負傷したり死んだ時には、その栄誉を称え、生活の保障等も含めて社会が支えるべきだろう。彼らが払った犠牲は元々社会を支える為の犠牲だったのだから。
しかし現実にはどうだ、イラクの人々が米国に何をしたのか。何もしていない。9・11アルカイダが行ったようだが、それは「アフガニスタン」に居るとされて散々攻撃をされている。アルカイダアフガニスタンと、サダムのイラクはお互いに批判していて交流なんぞなかった。また、イラクにあるといわれた大量破壊兵器は見つからない。そもそも防衛の為の先制攻撃なんぞ許容できる物ではない。(このあたり、わたしが勝手に補完していて映画の描写を超えています)
そして、勇ましく「イラク侵攻」に賛成の署名をした議員たちは我が子を戦場に送ろうともしない。
こんな姿は恥ずべき事だ。米国は9・11以来、姿の見えない「テロの脅威」に怯えアフガニスタンを叩き、イラクを叩いた。その中で米国民も傷ついたが、もっとも傷にまみれたのは米国の掲げる民主主義の理想だ。マイケル・ムーアは反米思想でもなんでもない。わたしが子供の頃から見せ付けられ、あるいは「洗脳」されてきた「米国型民主主義」の正統な後継者である。彼が「ブッシュよ恥を知れ」という言葉はよく理解できる。
そして同時に彼の「許さん!」というスタンスにも同意できる。



あちらこちらの意見に対して。

「で、この映画はツマるのかツマラないのか」

ギャグというものは送り手と受けての共通認識が必要になる。
共通認識の基盤(米国のある程度の政治状況であるとか、イラク戦争の実情とか)を持たなければ面白いと思えるわけが無い。
ただ、あれこれ考えてみると前作『ボーリング・フォー・コロンバイン』の方が良いのかもしれない。
そして、言いにくい事だけれど。これって映画館の大スクリーンで見るような素材ではないような気がする。とっととDVD出すなり、放送すべきだ。

イラク問題にしてもブッシュ一人を悪者にすれば良いわけではない」

そりゃそうだ。確かにマイケル・ムーアもブッシュを攻撃して憚らないが、かれが「許さん!」と言っているのは彼の信奉する米国の理想、民主主義を踏みにじるものたちであって、それが今、ブッシュに象徴されるというだけなのではないだろうか。小泉が「見たくない」というのも理解できる。自身が叩かれているのだから。
この辺りは、村崎百郎師の仰せのとおり、自分自身にも省みるところはある。


(最大のネタばれは「やっぱり、大量破壊兵器なんて無いぞ!」って事なんだろうな)


*1:わたしは子供の頃チャールトン・ヘストンに憧れて肩幅を付けようとストレッチをしまくったという恥ずかしい事実はここだけの話だ

*2:なんでも『2』が上映されるそうだけど、バリバリ鷹派右翼のロバート・A・ハインラインを原作にポール・バンホーベンがてらいもなく作ったある意味落ち無し。または全編、映画の存在そのものが一つのギャグという映画

*3:地獄の黙示録でも出てきたし、映画『ブラック・ホーク・ダウン』でも出て来たわな

*4:誰の言葉か忘れた