骨髄バンク

骨髄バンクの登録を訴えるCFを公共広告機構が流している。夏目雅子の映像を流して「あの頃、もし日本に骨髄バンクがあり、あなたのドナー登録があったなら、きっと僕らは、46歳の夏目雅子さんに会えたにちがいない」と語りかけるものだ。このCFは他の企業が押さえていた広告枠がその企業の事情で空いた時に「埋め草」として流されるもので、最近夏目雅子を良く見るなぁと思った背景には、三菱自動車やら、武富士の事情と言うのがあったんだろう、と。以上は連載1000回をお迎えになったホイチョイプロダクションの『気まぐれコンセプト』の何週か前のネタだけれど。

今日扱う話はどうにも自分でも結論が出しきれていない。というか、導かれた結論が自分でも直ぐには頷けないほど酷い物になってしまっている。なので、こんな軽い枕を持ってくる事も躊躇われるが、このネタを書くときにはこの枕をと思っていたのでとりあえず書き置いてみよう。

現在、白血病の治療に骨髄移植を行おうとすると、血縁者間のそれと骨髄バンクを通したものの二つがあるそうだ。移植治療そのものに懐疑を展開する生命倫理的な立場にまでは踏みこまずに置くとすると、骨髄移植のドナー登録は、白血病で悩む人々にとって文字通り命がけの願いである事だろう。

実はこういった事例があった。あるヒトがこのドナー登録をした。幸いにも適合者が現れて骨髄移植の運びとなった。いざ、移植の話しが進むにしたがってこのドナーに「迷い」が生じ、結局ドナー登録を取り消したのだという。

ここで躊躇いをみせたドナーをなじるのは簡単に過ぎるだろう。いざ、自分の身にと少々の考えをめぐらしてみれば、この躊躇いに無理はない。
骨髄移植推進財団 - 骨髄提供について>提供者のアンケート結果

ドナーにもリスクはあって、それが「善意」だけで果たして乗り越えられるものなのかどうか、非常に悩ましいところではある。このリスクをヘッジする為にドナーには「障害保険」というものが用意されているのだそうだが、それは骨髄バンクを通じてレシピエント側が掛け金をかけるという事になっているそうだ。上記のリンクを見てもらえれば判るように、ドナーといえども一定の入院期間が必要なようで、それらの医療費も同様に骨髄バンクを通じてレシピエント側の治療費としてドナーの負担にならないような制度になっていると言うことだ。

ここまでは確かに頷ける。しかし、例えば、移植後暫く経ってドナーが体調を崩したりした場合どうなるか。
ドナーの立場に立って見てみると、骨髄バンクであるとか、移植治療に関わっている医療機関には「移植実績」というインセンティブがあるのでは無いかという疑念が湧きはしないだろうか。例えば、自分の受けたドナーとしての医療行為に過誤がなかったか、セカンド・オピニオンを得ようとしてカルテなどの情報を得ようとした場合、すべては骨髄バンクを通じて移植治療を施した医療機関を経てという事になるようだ。
骨髄バンクは「ドナーを守る」というスタンスで「善意に立って」「誠心誠意」ドナーの意を汲むとしているようだが、無制限のフォローはできはしない。

「移植実績」という数字がある限り、骨髄バンクや移植医療を施す機関とドナーとの間には利害の対立があるように思えて仕方が無い。ここで徹底的にドナーの立場に立ってそのドナーの利益を追求し、ドナーと利害が一致する第三者というのは見渡しても居ない。
米国に行くと州やら都市やらで若干事情は異なるんだろうけれども、病院やら警察に弁護士がうろうろとしている。彼らは事故だの事件だのの臭いを嗅ぎ付けると、その被害者に取り入って徹底的な利益の追求を行う。確かにその有り様が行き過ぎのきらいはあるものの、利害が一致する第三者の存在というのは被害者にとって何よりのよすがとはなることだろう。
骨髄バンクは「善意に立って」「誠心誠意」「ドナーを守る」としているが、ともすればこのドナーとの利害の対立に無自覚なような気がする。彼らが「善意」に立てば立つほど、それ以上を求めるドナーの立場は「善意」から離れているかのように扱われてしまうのではないだろうか。そうでないなら「無制限のフォローはできない」という常識的な対応は、無責任だろう。(ここ、ややこしいな)
ドナーはリスクから逃れる事はできない、移植治療を行ってしまってから、何等かのリスクを負ってしまったとすれば、その移植治療を無かった事にはできないし、それ以降(ひょっとすると、一生)そのリスクを付き合わなくてはならない。レシピエントはそんなドナーの困難を知れば、どのような補償でもしたいことだろうが、その回路は絶たれている。
もしも、ドナーがそこまで重篤な困難を背負った時に、移植医療機関骨髄バンクも「誠心誠意」の対応を取るとはいうものの、そこには「常識的な限界」がある。
ここで、なにが問題か。ドナーには決定権が無いという事が問題になりはしないだろうか。
ドナーは骨髄バンクの言う「善意に立つ」価値観に支配される。ドナー自身の判断で自己利益の追求という道筋は絶たれている。勿論、この道筋が無制限に認められれば、それによる混乱は今以上の物なのだろうし、結局落ち着く先は司法判断という事になって、その結論は骨髄バンクなりがコーディネートするものに近く、その結論も早い事だろう。
つまり、実効的には現在の状態で問題は無いという事になるんだろうが、それでもドナーの自己決定が見えない。
またまた「依らしむべし、知らしむべからず」というドグマが顔を覗かせているように思えてならない。

骨髄バンクは「ドナーを守る」と胸を張るが、実は、「骨髄バンク」という制度そのものが、ドナーに守られている。ドナーの善意(か、または蛮勇)に全て依存しているのではないだろうか。

この問題に関しては、今のところこんな事を感じているんだけれど、結論は出せない。また、ドナーの補償制度についてもどうにも良く判らないところもある(ドナー、レシピエントの間の“何か”もなんとなく感じる)何か情報があれば教えていただきたい。