国に対して現実論を踏まえない山形は最悪だ。

今月号のサイゾー「山形道場」において山形浩生が、自由には必ず責任伴うを敷衍して「国や政府の理念先行型理解」という一文を書いている。

(略)
ここで述べたいのは、国や政府のあり方についてだ。
 ぼくの議論は、政府はコミュニティの財産の管理人でしかない、というものだった。コミュニティには手持ち資源を出し合って、困っている人を相互に助け合う機能がある。でもそれは無限じゃないから、使う時には無駄遣いされないようなルールが必要だ、とぼくは主張した。

一つの誤りを除いて大いに同意する。確かに国家行政機構が持っているリソースは無限ではない、それは厳密に査定されねばならない。四国と本州の間に橋を架けることは多分良い事なんだろう、良い事だろうと本州側の四国3県全てに橋を作る事は子供が考えたって無駄だろうし、実際に巨大な赤字を残している。こんなバカな政策に対しては反論をしなければならないし、その責任も追及しなければならないだろう。しろよ!山形。
今回のイラク人質事件にしてもアンマンとの密約も囁かれている。まあこういった真偽のはっきりしない事はおくにしても逢坂がアンマンに行って、どの程度の予算を使い、結局ナニが解決につながったのか。財産の管理人であり、その執行を司るのなら明確に会計を公開する必要があるだろう。そしてその時に培った対イラクインテリジェンスは今次の韓国人質事件ではどの程度有効に活用されているか。これも明確に開示すべきだ(もちろん、これはわたしの皮肉だ。公家様外務省に現在のイラクと真っ当なルートを構築できるようなヤツは居ないだろう。なので今回の韓国人質事件においても日本政府は何もできやしないと見越している。多分今回も日本の外務省よりもキデル・ディアの方が解答に近いかもしれない)。
つまり「危険を冒してイラクに入国する人達への批判」と「社会的リソースが有限である」という議論は直接にバッティングなどしやしない。本質的に異なった領域の問題ではないか。

さて、この内の山形の明確な誤りというのがある。というか、こうなってくると彼はわざとミスリードをしているように見えて仕方が無い。山形も遂に「党派的に」政治活動をするようになったってことなのか?人間は太りたくはないものだ。
「政府はコミュニティの財産の管理人でしかない」
そうか?こんなありがたい官僚擁護はないだろう。更にみっともない。国会提出法案のうちの何割が政府提出法案なのか知らないわけはあるまい。この国はいびつな三権分立状態にある。立法府(国会)は三権の最高機関となっているが実質的な立法機能は行政府(官僚)が握っている。また司法はそもそもその機能が不全に陥っている(遅すぎた正義は正義*1でない)が予算権を行政に持たれ、また様々な介入も垣間見える。
つまり、「政府行政機関はコミュニティの財産の分配決定機関であり、その執行機関であり、更に評価機関」なわけだ。こんなバカな状態を放置しておくから四国と本州にアレヨアレヨと橋が3本かかるわけだ。
まじで、こういった在り方に問題があるんだとするなら、今回のイラクの問題など、せいぜい20億程度の事じゃないか。翻って本四連絡橋は兆って金が飛んでいるんだろう?フザケルンじゃないよ。タコ。


*1:一々説明がめんどくさいが、この場合の「正義」とは司法的な「社会正義」わたしは「正義」なんて絶対的な基準があるなんて思ってやしない