バリエーション、言語を使っての説明

バベルの塔(ブリューゲル作)

神話では、人間は天上の世界に向けて「バベルの塔」を作ったとされています。このたくらみを見咎めた神は塔にいかずちを加え、以降人間が同じたくらみをくわだてないよう、人々の語る言葉を様々に変え、これによって人間は統合を失ったとされています。
バリエーションの豊富さが至上とされるならば、言語はバベル直後のように一人一言語というような混乱状態が至上と見なせるかもしれません。しかしこのような状態(混沌:カオス)はバリエーションが豊富とは見なせません。つまり、言語そのもののバリエーションは確かにこの混沌状態が豊富であるかに見えます。しかし、その言語の持つ目的であるコミュニケーションは枯渇します。コミュニケーションのバリエーションはすべての人々が同一の言語を(または、相互に理解可能な言語を)使える場合の方が豊富なわけです。
しかし、言語というものはヒトに思考の枠組みを与えます。ヒトは己の持つ言語以上の概念を構成することは困難です。この思考の枠組みという観点からすると、単一の統一言語はヒト総体を捉えた場合、バリエーションが枯渇していると見なせます。
結局、現在のような一定のバリエーションを持った状態が健全なのだろうと思われます。
ただ、現在でも徐々に言語は失われつつあるようです。また、通信技術がコミュニケーションのバリエーションを豊富にしてきている反面、思考の枠組みを同一化するという側面もあるようです。