「常在戦場」を忘れたキレイ事「市民派」政治家 菅の敗北

民主党代表の菅が辞任したわけだ。野党第一党、それも政権を狙うというんで集合した党の党首が辞任したというのは、それだけでトップニュースの「スキャンダル」だろうとは思うんだけど、なんとなく「年金制度改革問題」の中の一つのトピックとしての国会議員の年金未納問題の、更にまた一つのトピックとしての菅の未納問題のケジメという話になっているように思える。
今日の報道ステーションでこの辺りの観察を矢野絢也(元公明党委員長・政治評論家)が語っていたが、非常に興味深かった。曲がりなりにも公明党で長年政界を泳ぎ、今でも微妙な位置(竹入と比べると)に居ながら評論活動を続けるヒトだけあって、なかなかに説得力があった。途中で古館の訳の判らない茶々が入っていたので明確な発言は無かったが、矢野の見るところ「三党合意を破棄して、それから自身の進退を明確にすればこんなことにならなかった」という視点はすばらしい。
つまり、どうせこのままでは三党合意は無効になる。結局年金改正法案が通るだけで、見直し論議に関しては与党自民党内にもある意見の幅に収まってしまうのではないか。つまりは民主党の存在感はどこにも無くなってしまう。更に、この三党合意を進めた執行部の責任問題は、菅自身の辞任とはまったく関係無く燻り続ける。
実際に閣僚であり、法案提出主体の内閣の一員である未納議員の責任問題を打ち消したかに見える福田の辞職に引き換え、菅のこの動きは完全に失敗している。福田に関して言えば、先の改造でも辞任を漏らしていたほどなので本人もセイセイしているのではないか、痛痒感などありはしないだろう。しかしそれによって他の閣僚への責任追及をかわしたという効果はあった。
また、三党合意に関しても。これは国民にとっては理解不能に映る。つまりは「責任ある政権担当能力を持った野党」として、法案を廃案に追い込むとか、それができない場合は単に採決を欠席するなどの抗議(パフォーマンス)をするのではなく、実際に付帯決議なりで将来の年金制度改革に道を開くという、理想論を追及したいという表れなんだろう。
確かに冷静に考えれば、パフォーマンスよりも三党合意を推し進めた方が実効的な政策論議を進めることはできるのかもしれない。理想的には。
しかしそれは理想論でしかなく、論理的には正しいかもしれないが所詮書生論議に過ぎないということだろう。実際に菅辞任後の民主党内のゴタゴタが、この三党合意の取り扱いにあるのだろうとは思うが、それを理解できる者は少ないと思う。マスコミもそこまで突っ込んでは取り上げないだろう。
あるおっさんは「国会議員は大学の先生と芸能人を両方やらないかん。大学の先生みたいな話しばっかでも誰も聞いてくれえせんし、芸能人みたいな格好だけでもいかんのだわ」と言っていたが、つまりはパフォーマンスと実際の政策。政策と政党のどちらを取るかという事だろう。菅は今回「政策」を取ったと言うことだ、そして敗北した。
矢野が見るに、三党合意を破棄する。そうすれば当然執行部の責任問題が浮上する、そこで菅が辞任する。三党合意破棄後は結局与党の強行採決で法案は可決するのだろうが、そこまで突っぱねなければ民主党は国民に理解されない、7月の参議院選挙を戦えない。
菅の誤りは、三党合意も取りたいし自分の辞任も嫌だ。自分の辞任は仕方が無いにしても、三党合意は守りたい。という「政策」主体の発想にあった。
この姿は先の金融国会で、不良債権処理の問題は政局にせず。という姿にも表れている。また、イラク人質問題においても政局に連動させないという甘さにも見て取れる。
国民は結局政治にパフォーマンスしか求めていない。それは小泉の支持率を見ても判るし、先の道路公団改革でもわかる。というか、この半世紀ずっとそうだった。圧倒的多数のパフォーマンスしか理解できない国民に、それでも何等かの政策を推し進めようとするならば、そこに「理解しやすい」それこそ「大義名分」が必要なんだろう。今回の事でも、もし菅自身の未納問題がなければ国民は年金制度改革などそっちのけでこの未納問題から、あるいは倒閣運動まで進めたかもしれない。
また、菅が三党合意という政策にこだわらず、自身の辞職というパフォーマンスを即座に選択していれば今の流れはまったく違ったものになっていただろう。
政策というものは政権に付いてくるもので、理想論を掲げればそれが実現できるものでは無いということなんだろう。そして政権を獲得する為には、常に政局に居ると言う意識が必要なんだろう。「常在戦場」人質だろうと高齢者の年金だろうと、それを梃子に。つまりは人質を人質にとってでも政局を回して政権を獲得すると言う「汚い手段」も使わなければ理想の実現もできはしないということなんだろう。
そう、真実よりも見てくれ。
政策の中身よりもパフォーマンス。国民がそれしか見ないから、政治もそれしか提供できない。そんな中で、官僚が「見てくれの良い」政策を、さもそれらしく提示すれば、国民はそれを易々と信じてついていってしまうと。こういうことなんだろう。国民は己の身の丈にあった政治家しか得ることはできない。
(ああ、すんません。まだ整理がキッチリついていない文章だ)