劣化する保守、滑稽なる公私混同

う〜気持ち悪い。なんとなくぜんざいとクリームソーダ芋焼酎を一気に食べたような気分だ。雑誌「諸君!」を買って読んでみたんだけど、なんだろうなぁ?今回のイラク人質事件を特集で取り上げているわけだけど、「保守」としての立脚基盤が劣化しているのだろうとしか思えなかった。
この雑誌には「紳士と淑女」という巻頭言のページがあって、これなんか比較的好きな部類なんだが(今回でも森ビル回転ドア事故が官僚制の焼け太りを呼ぶ。みたいな指摘があって、それはわたしが羽田突入事件で取り上げた指摘と同じなんだろうと思う)それでも非寛容なんだよな。結局、革新の退潮が保守の退潮を呼ぶと言う、つまりは二元論のフレームから脱却できていない、またはしない保守の限界なんだろうかな。まあ、二元論は楽で、そこそこ金にはなるんだろうけど。
で、最初のページに来ているのが石原慎太郎東京都知事と、西村眞悟衆議院議員ときたもんだ。劣化してるよなぁ。一々引用、論駁してみようかと思ったけど止めた。あまりに気持ち悪い。
二点だけうだうだ書いてみたい。
1.人質事件は犯罪であって、それに刑事的に対応するのは行政の職務である。そしてそれが海外で行われたなら外事的に外務省などと連携して捜査、解決を図るのは行政の義務だろう。
しかし、それと、犯行グループの要求である自衛隊撤退は政治的要求であり、これらを混同して語っても何も見えてこない。これを混同する事自体が「公私混同」と言えるだろう。
自衛隊が「人道支援だから」なんてのはこの際まったく関係無い。よしんば自衛隊が「治安出動」だの、いっそ「侵攻」だのしていたところで、個人に降りかかった事件と政治的問題を混同して語ってどうしようというんだろうか。
また、人質家族が「小泉首相と会わせて欲しい」というのは「滑稽」「僭越」(石原)なんだろうか(石原はこの言葉がきつく響くと意識したようで説明を加えているが、その説明も結局責任の所在を人質に負わせることで上記の行政の責任を回避しているに過ぎない。公私混同の論議に終止している)
わたしも小泉首相が人質家族に会わなければならないとは思わない。(国内の誘拐事件で政治的要求が為されたら首相が動かなければならないかということを考えてみれば良い、首相は桜でも見ていれば良いんだ)しかし、家族を人質に取られた者が、無理は承知で、すがる思いで発した言葉を「滑稽」と断ずるこの神経は信じられない。こんなヤツは保守ではない。外道だ。
2.石原も西村も「戦争なんかに端から大義など無い」(大意)といっている。孫子、戦国策、数々の戦国武将。更にクラウゼウィッツを引くまでもなく「戦争に大義は不要」などというならず者の論理を強弁できる神経が信じられない。西村は性根では暴力肯定論者なのではないか?こんなヤツが保守なのか?
非常に気持ちが悪い。
面白いのはこの後、中西輝政に続いて佐々淳行、次に中宮崇と来るわけだな。肩書きが「カルトウォッチャー・プロ2ちゃんねらー」だそうだ。その次に来るのが例の「麹町電網観測所」(「インターネットの中の世論」を拾うとしているが、ここでいうインターネットというのはほとんど2chと同義語らしい)
保守の劣化はヤマイコウコウニイル、という感じだな。