「自己責任論」を年金問題に置き換えて考えてみた。

今回のイラク人質事件に対して「自己責任」を求める声が多い。(一切合財を人質の不用意な行動に端を発していると見なし、彼等に(政府支出なども含めて)責任を求める主張を「自己責任論」とする)
個人は政府の決定に背き、「自己責任」の下で行動することは許されないのだろうか。これを「年金問題」に置き換えて考えてみるとどういった事になるだろう。


政府が危険だと言っているイラクに出かけていった。
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そこで犯行グループにつかまってしまった。
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要求として出されたものは国策を否定する「自衛隊撤兵」である。
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人質救出の為に政府は多大な費用と労力を使った。
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その責任は人質にあるんじゃないだろうか。
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更に、人質はこの責任を負おうとはしない。無責任じゃないか。

国民年金に置き換えてみる。(払わなかった場合)
政府が必ず払えと言っていた年金を払わずにいた。
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やがて給付を受ける歳になって年金が受け取れなくなった。
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年金制度に懐疑的だった。
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ケースワーカーなどが労力を使った、生活保護を受けることになった。
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その責任は年金未納者にあるんじゃないだろうか。
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更に、生活保護は権利だとかほざく。無責任じゃないか。

年金未納状態(例えば大学に通っていて、充分な稼ぎがない。親からの支援も当てにはできないと言ったような状態)で交通事故などにあって障害者年金が受け取れない事例と言うのもある。この時、年金支払いをしていなかった者は「自己責任」であるから、一切の保護を受けなくても良いのだろうか。

国民年金に置き換えてみる。(払った場合)
政府が必ず払えと言っていた年金を払った。
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やがて給付を受ける歳になって支払い金額と給付金額を比較するとマイナスであることが判明した。(民間の積み立ての方が利率などが良かった)
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年金制度については決まりだから支払っていた。
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この年金制度を決めたのは国会であって、間接的に自分の選択した制度である。
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制度が決まった時にもう少し詳しく考えることもできた。
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給付金額が少ないという不満は無責任じゃないか。

実際に今、政府の打ち出している「100年安心プラン」なるものは、将来の出生率(将来の年金負担世代の人口)やら利率について現実離れした数字を下に試算されている。もう少しちゃんとした試算を下に、「最悪の場合」「最高の場合」などを提示してもらって、決定する前に「覚悟」ぐらいさせて欲しいものじゃないだろうか。

※「政府決定」に対して国民は異議を申し立てることができる。何も国のお達しがすべてではない。
※「世間」の同調圧力。簡単に言うと「世間の目」というものが個人の自由を奪う。これはどこまで許されて、どこまで許されないものだろうか。