イラク人質事件の周辺というか辺縁

アルジャジーラが報ずる所によると、犯行グループが人質を解放するという声明を出したようだ。もし本当ならありがたいことだ。
観測によると、犯行グループに対して現地族長などからの働きかけがあり、イラク人民にも受け容れられないテロ行為に対する反発という政治的判断から人質の開放にいたったらしい。
まだ、解放もされていないし、単なる推測に推測を重ねる作業なんだけど、この辺りまでの流れは腑に落ちる。これを受けて考えたいのは。イラクの人々の中には親米VS反米というようなバカな二者択一ではなく、比較的冷静で健全な政治的判断が働いているのでないかという希望だ。確かに一部先鋭化したグループもあるのだろうが、それらは民衆と遊離していて広範な「運動」に広がらない。
確かに、今彼等に必要なのは親米でも反米でもなく職と食なんだろう。
この判断に引き比べ米国の、力だけで押すブッシュ政権の方が幼稚に見えるし、このはてな界隈(壷は言うに及ばず)で見受けられる「自作自演説」などの言説は“電波”と分類するに十分だろう。
どうも、日本の国民よりもイラクの国民の方が理知的な気がする。(まあ、「国民」なんてあやふやで雑駁な区分けを比較しても意味がないけど、恥を思うには十分でしょう)

「自作自演説」にはすぐに底の割れる「根拠」もあるが、もし自作自演だとしてもそれにまつわるリスクに思い至らないとすれば「おめでたい」としか言いようがない(「平和ボケ」というやつだろう)。日本国内でわがままなガキが親から小遣いをせびろうと狂言誘拐をするのとは訳が違う。
つまり、もしも自作自演グループが人質「役」の3人と息を潜めているとして、米軍に見つかれば即座に生命の危険があるわけだ。そのようなリスクをおして自作自演という政治的パフォーマンスを画策したとするのならば、それはそれで汲むべき所はあるのではないかという気がする。
まあ、とりあえず。解決を望みつつ情報を待つという態度が必要なのではないだろうか。判定は何時でもできる。



追記:
面倒くさいけど、「自作自演説」で盛り上がっているお子達は読解力がないようなので念を押しておこう。
上の文章では「自作自演説」を否定はしていない。それを否定するだけの材料などない。もちろん、自作自演説を裏付ける材料もない。
わたしの興味はイラク情勢だとか、この事件を受けての小泉政権の動きだの外務省の能力だのよりも、喜んで「自作自演説」を振り回すお子達の心情に移っている。