閉鎖性、閉塞性2

相変わらず「アイコラ」というキーワードで飛んでくるヒトが多いなぁ。次に目立つのが「NASA音頭」ですね。来訪者増加をもくろむ方に朗報です!今は「NASA音頭」がトレンドですよ!
って、なんで皆「NASA音頭」をそんなに検索してんですか?
そしてなんといっても目立つのは闇黒のおっちゃんのところだね。「継続は力なり」っていうけど。

仕様書とか法律とかのみに基いて話をするのは、「言論の自由」的な觀點から言へば「勝手」なのだけれども、能く「人間不在」の議論を出來るよな、と俺は思つたりする。
人權論者、人權を論じて、人を論ぜず。そんな人權論者なんて信用出來るかと。

そういえば昔「六法全書には『愛の定義』は載っていないんだよな」といった奴がいたけど「なんで愛の定義なんてものを人様に決めてもらわなけりゃいけないのよ」と思ったものだ。飯の食い方から○○○の□□□までW3Cで決めてもらわなきゃ判らないとかな。
わたしは「ヒトを論じていない」だろうかね?「桜」にしても十分ヒューマンインタレストに応えていると思うんだけどね。つーか、ほぼ実話を書いて「リアリティーがない」と言われるのは困ったもんだけど。(ついでに書いておくと、12時30分という時間も本当の事です。機会があったら詳細を書きましょうか。また昼と夜の場面にコントラストが甘いという指摘もいただきましたが、確かになぁと思いました。相当に切り込みを入れたので駆け足のようなリズムになってしまいましたとさ)
ヒトは在るように在ればいいのであって、確かに主観的な意見なり考え方はあるけれどもそれは「語り合うこと」でもない。個々のヒトがそれぞれに考えればいい。
そのようなそれぞれの者たちが「より自分」であることのできる「空間」を用意することが法律などの規定の役割ではないか。規則がヒトを規定するなんてのは本末転倒もはなはだしい。