産経抄いじり

なんつーかなー、言葉ってのは面白いよね。わたしは今「引用」という言葉に引っ掛かりを感じるんだよ。単に「転載」したって構わないような文章をわざわざ「引用」といって「転載」していたり。「引用」と断って主となる文章がなかったり(あ、この両者は同じようなものか)なんだか「引用」という言葉が好きなお子さんたちが増えてきたなぁと思えるんだよね。この「引用」の氾濫ってのはひょっとして「上杉聰VS小林よしのり裁判」の影響なのかなぁ?ボワワワ、と思えてしまう。
さて、ちょっと社会だとか思想だとかに足を突っ込もうとしているヒトなら「二元論」という言葉も知ってるだろうね。元々は「善・悪」を切り分けたゾロアスター教なんかに端を発しているのかもしれないけど、それ以降「明・暗」を意識したマニ教に流れたり、それ以降キリスト教だのにもその影を落として、今なんかだと道教の「陰・陽」なんかにも残っていたりするね。お隣韓国の国旗に描かれている「太極」はこの「陰陽」をあらわしてんだわな。
そして、今の社会だとか思想ってものはこういった二元論を「否定」する方向にあると思うんだよね。(と、いってここに挙げた宗教が誤りだって言うわけではないよ。というか全ての宗教は「詐欺だ!」ってのはわたしの持論なんだけど。例えば道教なんかでも物やら心をこの二元に分けるんだけど、全てはこの混ざり具合、影響の度合いであるってことで単純に「陰」が良いだの「陽」がどうだのと切り分けているわけではない。そういう意味ではいま否定されている「善悪二元論」と道教は距離があるとも取れる)
で、そういった「脱・二元論」は確かに支持されているんだと思うけど、どうよこれ。
http://www.sankei.co.jp/news/column.htm
http://www.sankei.co.jp/news/040220/morning/column.htm

「ごめん、戦争を白か黒かで切るとだよ」「なんだオセロゲームか」「そうだ、オセロ式にいこう。アメリカの方に大義がないとするとイラク大義があることになってしまう。フセインの独裁やクルド人虐殺は大義や正義かい」

キチガイか?

「いやイラク戦争に反対の左翼の連中もそうはいっていないよ」「そうだろ。つまり大義があるかないか、どっちに大義があるかなどという議論は意味がない。戦争はどっちもどっちなのさ。だれもが自分の方に大義があるという。だから中国の古人も“春秋に義戦なし”とのたもうたのだ。大東亜戦争だって日米双方に理屈があった」

バカじゃないのか?
「白黒二元論」に留まってそれを否定しようというのか?
イラクにも大義は無かったんだろうが、米国にも大義が無さそうだ。なら、そもそも大義などいらないんじゃないかって強弁だね。どちらにも大義が無くても、では国連であるとかフランス、ドイツ、など、開戦に異論を唱えた「国際社会」って奴には大義があったんじゃないのか。というか、「大義など要らん!国益を追求すればいいんだ!」ってバーバリズムは通用しないだろう。国際秩序ってものが大切なんだし、日本は今までそれで助かって来たんだろうし、今後もそれを拠り所にしなけりゃしょうがないってのにわからんかな。
「米国の大義」を議論している時に、相手の「イラク大義」を持ち出すというのは単なる議論のすり替え、または幼稚な混同でしかない。それぞれの問題はそれぞれ独立して議論、思考できるだろう。
そしてだ。菅もバカだが、小泉の問題は「大義があった」「大量破壊兵器があると信ずるに足る情報を得ていた」という事だろう。つまり、日本の政策決定者がどのようなあやふやな情報源を頼りに政策を決定していたのかという問題ではないか。あのメルマガを出した時のその論拠となる情報を開示させれば良いんじゃないのか。



と、暖機運転をしてみると。昨日書いた予告の内。「口は災いの元」はもう暫く置いておく事にしようかなと思えてきた。