どうしてもわからない問題を一つ

今般のNHK改変問題で誰も触れていないらしい疑問が一つある。
この改変は裁判になっていて主催者側との取材における同意を覆したということで取材者であるドキュメンタリー・ジャパンに賠償の判決が下っている。
編集(改変)についてはNHKの編集権の範囲内であると、件の裁判では免責されている。
この判決にも問題は無いわけではないんだろうが、これをいったん受け入れるとして。この騒ぎでNHK側の出した経緯というものを眺めてみると少々奇異に映る事がある。
先ず、放送直前までバタバタと「編集」が為されたとするならば、その「編集」の責任をドキュメンタリー・ジャパンが負う必要があったのだろうか。やはり全てはNHK側の問題であり、そこに政治の介入があったか無かったかは保留するにしても、ドキュメンタリー・ジャパンだけが賠償を負うことには違和感がある。
また、放送前日、予算の話しのついでであったかどうかはおくにしろ、わざわざNHKは安倍に放送内容の説明をしているわけだ。ここで疑問なのはなぜ、その説明を取材対象である主催者側にしなかったのだろうと言うことだ。
結局、ここで説明があれば件の裁判は起きなかったのではないかと思われるのに、なぜそれをしなかったのだろう。

NHKが安倍に「説明」をして、本来説明すべき主催者側に説明をしなかった。この理由をご存知の方がいたら教えてもらいたい。


あっしには関わりのないことでござんす。

<1月23日付・読売社説  [NHK番組問題]「疑惑が残れば公共放送の危機」>

事実関係の確定を抜きに、一般論としてNHKと政治家の「距離」が、ことの本質だ、とする論調もあるが、論理のすり替え・争点ずらしのように見える。

朝日がどれだけ偏っていようとわたしの生活にはかかわりが無い。「週刊金曜日」なみに偏っていても別に購読しているわけでもない、一銭も金を払っているわけでもないわたしには関わりは無い。趣味のヒトが趣味にあったメディアを欲しているのなら好きにさせればいい。

視聴料を払わなくてもいいのなら、NHKがどんな放送局だろうとわたしには関係ない。好きに番組を作ればいいだろう。

税金を払わなくてもいいなら、そしてそいつらの決めた法律に従わなくても良いというのなら、どんな糞馬鹿が国会議員をやっていてもわたしには関係ない。