石原都知事閣下の「仮想と虚妄の時代」を読んで

やっと、文藝春秋に載った石原都知事閣下の文章を読み終えました。あまりにバカバカしくてずっとうっちゃってたのですが、結局こういうことです。


1.石原は現代の感性の鈍磨を嘆いているが、それは実は彼自身の感性の鈍磨にしかならない。
以前、芥川賞選評で金原ひとみの作品に対して理解の範囲外だとうっちゃっていたのだけれど、今回の文章においても「自傷行為」やら集団自殺に対しては「感性」を開こうとしていない。
どうも、石原本人の感性の鈍磨が彼をして「国家」みたいな対象に向かわせているって図なんだろうね。歳は取りたくないもんだ。または、知性に贅肉は付けたくないもんだ。

2.外交の本質?
詳細に語るには時間が無いので置いておくとして。この文章を読んで「そうだ、そうだ」と肯定的に捉えられたヒトに一度お伺いしたいのだけれど。
北朝鮮拉致問題に関して石原は「常識的に考えても拉致されていった被害者の同胞のほとんどはすでに存命していまい。その想定は無残なものなのだが、決して非現実的なものではありはしまい。そしてそれを回避して今後どのような交渉が在り得るというのだろうか」と語り、経済制裁なんぞを実行せよと言っていると思うのですが、「外交の本質」を語る石原にして、その外交の本質を語っていない。拉致被害者が存命していないと仮定した場合、その後の交渉が実力行使を伴うものを含むのは良いとしよう。しかし、その時の外交交渉の目的ってなんなのだろう?
「外交の本質」というのは常にその「目的」が大切なのであって、方法論なんぞは枝葉末節に過ぎないと思うのだが、まさか「日本の国家としての誇り」かなにかなのかな?

3.「脳幹論
石原はこう書いています。
「文明のこの段階にきて私が思い出すのは、かつて動物行動学のコンラッドローレンツ脳幹論にのっとって指摘した、健全な脳幹にして初めて在り得る。人間を人間として支えるトレランス(こらえ性)の問題だ」
まあ、この後は延々「近頃の若い者はこらえ性がない」ってな話になっていくので、それについても議論したいとは思いませんが。動物行動学でノーベル賞受賞している「コンラッドローレンツ」って「脳幹論」なんて提唱していますか?

石原のお友達に彼の「戸塚宏」(戸塚ヨットスクール校長)がいらっしゃいますけど、かれのページを見ると。

「脳幹の機能低下により引き起こされる」という脳幹論を、日本で初めて提唱した本校長

ってご挨拶があるんですよね。
更に。このページには。

 オーストリア、ウィーンの動物行動学者コンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz)は、ノーベル賞受賞学者で"近代行動学の父"と呼ばれているが、その業績は、動物の行動を研究することで本能的行動を人間の営為と比較し、近代から現代にかけての文明万能の考え方に警鐘を鳴らした点にある。
 人間性を特徴づける理性的行動をあまりにも高級視する反面、動物的本能的性向を低級なものと決めつける危険性を唱えた最初の比較行動学の権威。ローレンツの考え方は、そのまま私の「脳幹論」のバックボーンを支えてくれている人間性は原始的動物性から連続した延長線上にあり、動物性の基盤なくして人間性の完成もあり得ない。私の言う「脳幹論」は、この動物性、本能性の基盤を、しっかりと作れ、と主張するものなのだ。

と、あります。(強調は引用者)

石原には以前にも「ババァ論」で「松井孝典」(東京大学教授・惑星物理学、比較惑星学他)の発言を理解できず曲解した前科前歴があるのですが、同じような話なんでしょうかね。それともわたしが知らないだけで、コンラッド(コンラート)・ローレンツ」って「脳幹論」を提唱していたのでしょうか(なら、戸塚って「日本で」はじめて提唱したヒトってことになるの?)。

この戸塚宏ではなく、コンラッド(コンラート)・ローレンツ」の提唱しているという「脳幹論」があちこちで一人歩きをしているような気がするんだけど、こういうのを「仮想と虚妄の時代」とは言えるんじゃないんだろうかね。