ハードボイルドだど。

オルタード・カーボン

オルタード・カーボン

えかった、訳者あとがき、それに帯にも書かれているように、「ハメット、チャンドラーの衣鉢を継ぐ正統派ハードボイルドがはるか二十七世紀の未来から復活した」という呼び込みは嘘ではなかった。ハードSFとしては食い足りない部分はあるかもしれない。「ブレードランナー」(つまり「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」)やら「ニューロマンサー」を超えたとは思わない。けれども一級のエンターテインメントであることは間違いが無い。
これは、それらSFよりもハメットであり、チャンドラーだろう。というか、「大いなる眠り」まんまじゃないか。(大丈夫、ネタばれではない、しかしチャンドラーファンなら思わず微笑まずにはいられない)
翻訳の田口俊樹が作家にとって必要なものは何かと作者であるリチャード・モーガンに問い掛けたときに、彼は"passion and compassion"と応えたそうである。「熱情と同情」。
これはあのハードボイルドの絶対的な公理であるところの、犯すべからざる金言。「強くなければ生きてはいけない、やさしくなければ生きている資格が無い」へと容易に収斂する定理だ。
いやぁ〜生きてて良かった。
ちょっと気に入った一説を。

一瞬、イネニンの戦火が網目模様のようになって脳裏に浮かんだ。骨の髄にまで染み込んでいる死の叫び声が耳の奥で聞こえた。途端、バンクロフトの優雅で落ち着いた物言いがいかにもグロテスクに響き、胸くそが悪くなった。マッキンタイア将軍の殺菌消毒された損害報告とはまた逆の意味で…”彼らの犠牲はイネニンの海岸堡の安全を確保するためには、払う価値のあった犠牲であり“…バンクロフト同様、マッキンタイアも世の実力者だった。そういうやつらが払う値打ちのある代償について語るとき、ひとつ確実に言えることがある。
 それは誰かほかのやつが払っているということだ。