「俺はうんこもらした(わらい)」と「帰れ!」

「2chはあめぞうの正当な後継ではない」の続きになります。

わたしはぁゃιぃには足を突っ込んでいない。パソ通やらニュースグループの方が「掲示板」よりもわたしにとって親和性が高かった。ざっくりわたしにとって「ぁ界」とは何かと言われれば「太宰治」的世界観とでも言うのか。北田の言葉を借りれば、それこそ「シニカルな実存主義」とでもいったものではないのかと思われた。*1象徴的な発言が「俺はうんこもらした(わらい)」という発言だ。
特定の掲示板、つまり一つのコミュニティを主宰する者が「うんこをもらした」事を告白する?わたしは思いきり引いた。そして「(わらい)」とそれを冷笑する。これこそ「シニカルな実存主義」でなくてなんだろうかと、今になって思う。自己をさらけ出し、自己に対する反省(?)を通して、人間であることを主催者と参加者が相互に承認するという力学(?)が働いていたのではないだろうか(?)*2
ある事がきっかけでわたしは「あめぞう掲示板に入り浸る。「ぁ界」でもそうだったのだが、「あめぞう」においても投稿名は毎度毎度いい加減な物だった。ちょっとわき道にそれるが、これって非常に大きな要素であるように思う。「ぁ界」においても「あめぞう」においても投稿者名というのは用意されていたけれども、そこに几帳面に投稿者名を書き入れるものはまれだった。(こともないか、あめぞう本家の頃は半分ぐらいは固定ハンドルが入っていたな)だいたい投稿者名やら時にはメイルアドレスとか参照URLなんて投稿項目が、投稿文と一体になって一つの「ネタ」を形成していたと思う。当時、「有名人掲示板」というものがあって、様々な話題に対して勝手に「有名人」の名前を騙ってコメントを加えていくという趣向だった。「あめぞう」等では投稿者名やら本文自体はくだらない書き込みであって、アドレス欄に意見が書き入れられるなんて事もあった。「あめぞう」では投稿者名を書き込まなければエラーとされてしまうので、投稿コメントの最初の一言二言を投稿者名に書きこむと言うような事も行われていた。
わたしが現在使っているハンドル名もこのような「ネタ」が発祥となっている。当時、「朝日新聞」の記事が話題として取り上げられていて、その「読者」として朝日新聞を冷笑するコメントを付けたのがハンドル名「読者」の始まりなんだ。
しかし、こういった「捨てハン」(一つの話題に一つのハンドル名を使い、その話題の終息と共に捨てていくところからこう言われた)も、その話題の中では発言の一貫性を追跡しやすい。2chでは「名無しさん」がデフォルトで表示されてしまうので投稿者名を入れるという習慣が無くなった。発言番号を参照しやすくはなっているものの、相対した発言者同士を追跡する際には困難を伴う。そりゃあ、騙りも大量発生するけれども、確か、「電車男」でも、途中から彼は固定ハンドルを使うようになったのではなかったっけ?
デフォルトで「名無しさん」あ止めた方が良いのではないかというのは設置当初に意見としてあげて、それを入れられなかったのだけれど、今でも「名無しさん」が無かったらどうなっていたかとか思うとちょっと残念な気がする。閑話休題
さて、捨てハンのつもりで「読者」として「朝日新聞」を揶揄するような書きこみを行ったわたしなのですが、その時に貰った返答が「帰れ!」だったわけです。書きこんだのは「地蔵」というハンドルネームを持ったヒトでした。つまり、これ以上政治の話を続けるなという意味だったのかもしれません。しかしわたしはメゲズに「読者」のままあれこれ主張を述べたのです。やがてこの「読者」が固定的なハンドルとなり、「読者」名で自分のサイトまで開設し、おおよそ現在に至るという事になります。

(お風呂に入ってきます)


*1:お前に「ぁ界」とは何かなんて聞いてもいないし、勝手に分析してんじゃないよというご意見には謝っておくしかないけど

*2:全然自信が無いが