大切な事に応えていない宮台

今月の月刊「サイゾー」M2は非常に興味深かった。
例えば、宮崎の語る「外交の目的は自国の行動の自由度を高める事」つまりは「出来るだけ多くの選択肢を確保する事」というテーゼの提示は極めて当たり前の事で、そういう意味で大儀なき米国追従としてのイラク派兵には疑義があった。
折角、日本が持っていたアラブ社会との関係を危うくしただけにしか見えない。
また、これも何時か書こうと思っていたんだけど、北朝鮮問題において「二元外交」という言葉が使われた。与党議員である平沢勝栄の行動に対してならまだ判らないでもない。しかしNGOやらNPO北朝鮮との交流に対してまで「二元外交」という言葉を使って否定するのはそもそも間違っているし、複数のチャネルを持つというのは上記の選択肢にも繋がる当たり前の行動だろうからだ。あの当時「二元外交」という言葉で北朝鮮との交流を一方的に否定していた人々には別の意図を感じざるを得なかった。
更に、中国エリートの教育に触れ。国を愛するが故に自国の「ダメさ」を徹底的に叩きこめという提言も頷ける。
とかくこの日本社会において「愛国」を口にする者は過去の日本における「素晴らしさ」を称揚するキライがあるが、そんなものは糞の役にも立たない。マシンにパワーがあるなら単に黙ってアクセルを吹かせばいい。そのマシンにステアリングのアンバランスがあれば、コーナーではその挙動に気を配らなければならない。心地よく長所を語り会っていようと何の役にも立たない。短所をこそ注目すべきだ。ル・マン24時間レースにおいて、ドライバーは交代の時に何を申し送るか。
(国家の自己運動については稿を改める)

そして、今回のテーマにも挙げられている「階級社会のどこが悪い!」だ。宮台は「創意工夫の必要な仕事」とそれが出来るヒト、「創意工夫の不要な仕事」とそれが出来るヒト。それぞれがマッチすべきだと考えているようだけれども、実際はどうなんだろうか。そもそもそのようなマッチングは出来そうに思えない。
更に、それは所謂労働階級、テクノクラート、官僚までの「階級」を網羅する概念に過ぎない。多分今後日本社会において問題になるであろう「階級」は「創造性」を境界にするようには思えない。
まあ、この観測は置くにしても。宮台はこのようにいう。
「競争し、負けたら、諦めて、リスペクトしろ」そして「エリートによる設計」を大々的に語る。この問題はおくにしても、宮台はそこに「地位非一貫性」は必要であると留保をつける。つまり「政治的地位と経済的地位の分離」を図ると言っている。ここで宮崎が、しかしクリエイティブな連中はクリエイティビティを発揮して法、制度等を自分の都合のいいように改変してしまうのではないかというもっともなツッコミをいれる。これに対して宮台は何も応えていない。いや彼は言う「オレを独裁者にしてくれ」
彼の言うように「創造性」で「階級」なるものが出来たとすると、彼が「社会が安定しない」といった「勝者が全て手に入れる(ウィナー・テイク・オール)」といった社会が出来あがる。それが嫌ならさしずめ宮台を「独裁者」にでもしなければならない。または、それなりの最終審級を作らなければならない。

実は、この議論は「ゆとり教育」施行における頃の議論と何等変わっていない。当時も宮台は「ゆとり教育」推進のテーゼとして、結果の平等を求め押しつける事のむごたらしさを唱え、そこから下りる可能性を提示してみせた。当時も結局「競争し、負けたら、諦めろ」と言っていたわけだろう。
と、いうか。当時にそれを言うべきだった。「ゆとり教育」を施行しても学力は低下しないなどという絵空事をいうべきではなかった。「学力低下も良いではないか、学力で生きていくものだけではない。学力が必要ないものに学力を押しつけるべきではない」といえば良かったんだ。
しかし、これが受け入れられないのは明白だ。なぜならまだこの社会には「地位非一貫性」はないしそれを形成する「最終審級」もないからだ。宮台はすでに「ゆとり教育」論争の頃に、実際の行政運営の中で階級社会の実現にむけて「ロビー活動」をしていたのだろう。
しかし、その結果においては「地位非一貫性」を保障していない。彼の言うように「社会は安定しない」
つまり、宮台は「安定しない社会」の為に「ゆとり教育」を導入させようとしていたのではないのか。

わたしは何も「安定した社会が必要である」と言いたいわけではない。しかし、それを宮台が自覚してか無自覚にか語らない理由はなんなのだろうか。



「階級社会」はポテンシャルの高い社会である。
上部と下部は常に衝突しあい、そこで熱量を発散する。
差別が政治を起こし、その不条理が文化を産むだろう。
そこで抑圧された力はエネルギーとなって社会を動かすだろう。
そこに価値を見出す事が出来るかもしれない。
しかし、右に行くにしろ左に行くにしろ、それが見えているならば語るべきではないだろうか。
黙って持っていくのは、良く言って人が悪すぎる。悪く言えば詐欺だ。