非常に面白い。
わたしと産経新聞の社説「主張」が同じ結論を持つ。
■【主張】NHK「圧力」騒動 この胡散臭さは何なのか(産経新聞)

「主張」の内容を要約するとこういうことになるだろう。
今回の「NHK番組改変問題」において、その”法廷”なるものは「一方的に裁いた政治糾弾集会」なのであり、「そもそも、これを教育番組として放送しようとすること自体に疑問を感じざるを得ない」「公正な放送を求めた放送法三条」「以前の問題」として「その内容を上司がチェックするのは、NHKに限らず報道機関の常識だろう」

真相について、朝日新聞とNHKでさらにはっきりさせてほしいが、健全な常識さえ働かせていれば、最初から防ぎ得て、政治家が登場する場もない問題だったのではあるまいか。
 ことさら問題を大きくさせているところに政治的なたくらみも感じる。そこに胡散(うさん)臭さを覚えざるを得ない。

つまり、偏向した番組を放送する事など放送法以前の問題であると言う事なんだろう。しかし、どうなんだろうか。
本当に偏向した番組であれば、というかそもそもわたしはどのような言説も偏向を免れ得ない、公正・公平な言論などありはしないと思うのだが。その偏りが余りにも酷ければ、見るものをして却って逆の効果をもたらすのではないだろうか。
視聴者もバカではない。番組のテーマを「はいそうですか」と素直に受け取る者ばかりではあるまい。受け手がそれぞれの価値観で判断すれば良いことなのではないだろうか。そして、その結論は大抵はそれほど酷い事になりはしない。
今回、朝日が報道するように安倍やら中川がNHKに圧力をかけたのだとすれば、それは「国民がこのような偏向報道に触れてはそれを真に受ける」と心配したからだろうか。

逆に、国民を信頼してみれば「真相について、朝日新聞とNHKでさらにはっきりさせてほしいが、健全な常識さえ働かせていれば、最初から防ぎ得て、政治家が登場する場もない問題だったのではあるまいか。」
堂々と放送すればよかったのである。
「ことさら問題を大きくさせているところに政治的なたくらみも感じる。そこに胡散(うさん)臭さを覚えざるを得ない。」