内側から見た富士通成果主義」の崩壊
http://d.hatena.ne.jp/asin/4334933394

うーん、なんだろう。
なんだかひっかかるんだよね。なんとなくすっと胸に収まらないこのひっかかりはなんだろうか?

著者の blog らしい。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/17090/714334



1.人口ピラミッド
成果主義」が人件費の抑制の単なる名分であるというのはその通りで、大抵の奴が理解していたんだと思う。そもそもその評価制度自体「結局上司への胡麻摺り大会」に堕すってのは目に見えていた。
結局、バブル期に行った過剰な採用が原因なのであって、その反省と責任を明確にしなければ解消もまた出来ないって事だろう。
更に、その結果生じた人口ピラミッドの解消、バランス化に対してもどのような価値観でアプローチしていくか確定させなければしょうがないわけだ。
そのそもそもの問題から目をそらして小手先の話を幾らしても誤魔化しでしかない。
実はこの問題はバブルで浮かれた企業だけの問題ではなくて日本の社会全体の問題なのだけれど、この危機を認識している人々は少ないように思う。結局小泉構造改革郵政民営化(つまり、財政投融資の尻拭い)やら三位一体の地方改革(結局、地方の切捨てでしかない。ない袖は振れないって話しなわけだろ)などもこの人口ピラミッドのアンバランスが根源的な問題だろうに。

官僚などの「優れたリーダー」って奴は「誤魔化し」に優れているのだろうか。

2.明るい「未来」
著者は「人間は未来の為に働いている」と言っている。
確かにその通りでリーダーって奴はとにかく進路を決めなければならない。誰だったか忘れたけど、旧日本海軍の偉いヒトの言葉に「いざ戦いとなったら艦長はおたおたしてはいけない、乗員は大丈夫だろうかと艦長の顔色を伺う、その時に艦長が不安そうな顔をしていては乗員は動けない。とにかく自信満万にどしっと構えていればいい」という言葉があったが、こういうことなんだろうかね。
しかし、上でも述べたように根源的な問題があるわけなんだよな。
日本という社会自体に衰退の大きな波が押し寄せようとしている時に、どのように未来を語れるんだろうか。

3.どうにも引っかかるところ
結局、どうにも「公憤」が感じられない。当該の会社、それも人事部と言うセクションにおける「私憤」の匂いが強い。
確かに、結論は彼に近くなる。彼とちょっと違うところは次の二つで。
 3−1.地位と報酬
これは西郷隆盛の言葉だったっけ、もっと古い、中国の古典が元だったかもしれないけれど「貢献があったからといってその者を高い地位につけてはならない、地位というものは人物に自ずと備わるものである。貢献があった者に対しては地位ではなく報酬を与えるべきである」というのがあった。まあ、「名プレーヤー必ずしも名監督にあらず」って事なんだけど。
こういった古人の知恵というのがまるっきり忘れられているように思う。
 3−2.インセンティブ
フラットな組織であるとか「成果主義」というのはある程度は理解できる。しかし、「年功序列」というものが一般社員に対してもつ「インセンティブ」という効果を軽視しすぎていないかと思われる。
確かにトップマネジメントなんてものは市場という情け容赦ない評価者に我が身を晒されつづけるものなんだが、そこに対応するには胆力とでもいうような曖昧な力が必要なんだろうと思う。この胆力ってのは論理的には説明不能で、敢えていうと非合理なものなんだろうと思う。

ああ、いかんな。
まただらだらと「思考の道筋」のまま書いている。
「読者の視点」が欠けているな。
本当に、自分の文章ってのはただのメモ、ドラフトって感じだな。

まあ、いいや。
つい最近あるヒトとこういったトップマネジメントについて話していた。その時に「何故日本の企業のトップには東大卒が少ないか」って話になった。
企業という物はミズモノなんだろうと思う。明け透けに言えば「賭け」なわけだ。当たるも八卦、当たらぬも八卦
この不条理性に高度な知性を持っている「東大卒」は耐えきれないだろう。ある一定のところで跳躍する勇気、思考停止する良い加減さ。こんなものがなければ企業のトップなんぞ馬鹿馬鹿しくてやってられないんじゃないんだろうか。
逆に、企業のトップに就いている人々が時に見せるオカルトチックな偏りであるとか、不合理さはある意味ではこの「勇気」を担保しているんだろう。

話しを戻してみるけれど。
結局彼が味わった憤慨も当該企業における人事部というヒトを阻害するエリート集団に対して感じた違和感がその根源なんじゃないんだろうか。それはヒトとは、企業とは、働くとはといった価値観の議論であるべきで「成果主義」であるとか「年功序列」であるとかといった制度の議論ではないのではないか。
トップマネジメントが責任と権限をもって指を指し、
ミドルが明確に語り、社員が希望を持って働く環境ができれば、結局制度の議論は枝葉でしかないような気がする。

…うーん、無駄に長い。