地に足をつけよう

http://d.hatena.ne.jp/kikori2660/20040813#p6

話は逆なんです。在日の犯罪行為に対する批判ですら、全て単なる差別と片付けられてきた時代を抜け出し、初めて当たり前の事を口に出来るようになった。98年以前のネット言論について語るなら、拉致事件北朝鮮の仕業だという疑念を発する事すら不可能だった当時の風潮をまず思い出すべきでしょう。それを一般的には「逆差別」と言うんですが。「すり替え」とはまさにその事。逆差別をやってきた連中がいかに偽善と欺瞞に満ちていたか、日朝首脳会談(平成14年9月17日)で日本国民全般に明らかになっただけの話です。もはや“ネット右翼”というレッテル貼りだけでは通用しなくなった。それにまだ気付かぬ存在、またはそれに気付き趨勢を取り戻そうと焦る勢力が、あのイラク邦人人質事件における「自己責任論批判」という頓珍漢な言説を振りかざした。だが、北朝鮮に拉致された日本人の人権は無視していた(している)人間に限って、イラク人質の日本人の人権擁護を叫び自衛隊撤退を訴える。その胡散臭さに気付いただけの話です。

> 在日の犯罪行為に対する批判ですら、全て単なる差別と片付けられてきた時代

そのような「時代」なるものがあったのでしょうか?その昔っから在日であろうと脱税するパチンコ屋は摘発されてきましたし、在日だからと組織暴力団として違法行為を行ったものはキッチリ摘発されています。もちろん、それはその個人の犯罪であり、「在日であるから犯罪を起こすのだ」といったような言説は単なる人種差別と批判されるのが当然だと思うのですが。

> 拉致事件北朝鮮の仕業だという疑念を発する事すら不可能だった当時の風潮を
> まず思い出すべきでしょう。それを一般的には「逆差別」と言うんですが。

そう、是非思い出していただきたいと思うんです。何故主に70年代後半に日本海側で起きた「失踪者事件」が「北朝鮮の仕業だという疑念を発する事すら不可能だった」のか。
当時の主だった事件を時系列で並べてみようか。

1959年 在日朝鮮人帰還事業開始
1961年 韓国で軍事クーデター勃発、朴正煕政権誕生
1968年 青瓦台事件
1970年 よど号事件
1973年 金大中拉致事件
1975年 サイゴン陥落、ベトナム戦争終了
北朝鮮拉致事件は70年代後半に頻発している)
1980年 韓国光州事件
1983年 ラングーン事件
1987年 韓国虜泰愚民主化宣言

なんだかすっかり忘れ去られているみたいなんだけれど、韓国という国はつい87年までは軍政を引いていたんだ。その下で起こった光州事件は衝撃的でもあったし、そもそも情報の決定的な不足が恐ろしかった。そしてその7年前、73年に日本国内において「金大中氏事件」が起きる。韓国の軍政に叛旗を翻した民主化指導者金大中氏が日本滞在中に宿泊先のホテルから「拉致」され、身柄が韓国国内で解放されたというものだ(最近流行りの韓国映画に『KT』というのがあって*1、この事件をモデルにしている)。その当時「拉致」といえば北朝鮮ではなく韓国の「お家芸」と思われた背景にはこの事件が大きく陰を落としている。*2

確かに当時から「失踪者事件」を北朝鮮の仕業と断ずる者たちは居た。しかしそれらの者たちが様々な事柄において逆に「反北朝鮮」「反共産主義」といった立場を取り、ともすれば韓国の軍政にすら肯定的なスタンスを取っている中では理解が得られないのも当然なのではないだろうか。


> あのイラク邦人人質事件における「自己責任論批判」という頓珍漢な言説を振りかざした。
> だが、北朝鮮に拉致された日本人の人権は無視していた(している)人間に限って、
> イラク人質の日本人の人権擁護を叫び自衛隊撤退を訴える。
> その胡散臭さに気付いただけの話です。

これもおかしい。誰か「北朝鮮に拉致された日本人の人権は無視し」たような(ある意味勇気ある)論陣を張っている人なんて居るのかね?

例えば、わたしのスタンスは明確だ。わたしは自分では「サヨク」とも「人権主義者」とも「平和主義者」とも思っていない。もっと単純で明確なんだ。つまり、

「自分がその立場に立ったとしたらどうか」

これしかない。
だから勿論、北朝鮮だろうとなんだろうと自分が拉致されたらたまったものじゃないだろう。しかし同時に、自分が20年も北朝鮮に住んで、それなりの生活を送っているとすれば、今更日本に戻るのも大変だろうとも思う。更に、自分が北朝鮮に生まれて突然父親や母親が日本人であるからと「故郷」やら「友人」「恋人」を捨てろといわれて納得できるかにも疑問がある(だから、帰国者3家族にしてもまだ全然解決になどなっていないと思っている)*3
また、「朝鮮総連の犯罪」という話も聞く。先に述べた「北朝鮮拉致疑惑」の頃、確かに朝鮮総連の関係者はそれを否定していただろう。それは、故国に対する贔屓目もあったのだろうが、それよりもそのヒトが、今になっても朝鮮総連に繋がっている理由を考えてみると理解できるのではないだろうか。帰国事業で10万人に及ぼうという人たちが北朝鮮に帰っている、そしてそれらの人たちの命の伝手が在日の人々の送金である事も巷間に広く伝わっている事だ。つまり朝鮮総連関係者は「人質を取られた被害者」なのではないのか?今、その送金や行き来を制限せよとの声がある。これは「人質を取られた被害者」にとってどのような言葉なのだろうか、それとも帰国事業で帰った人々は「自己責任なのだから、知ったことではない」のだろうか。
勿論、拉致事件に関わった者があるのなら、それは刑事罰の対象だろうし訴追されるべきだ。しかし、それは一部の人間なのではないだろうか。一部の人間の犯罪行為によって、その他の者が、或いは命までをも危険に晒される。
極端な政策はそのターゲットとする者に影響を与えずに、弱いところに皺寄せが行くだけということなんだろう。

また、この帰国事業では「日本人妻」と呼ばれる人たちも北朝鮮に渡っている。この人たちは純然たる「日本人」なのだが、その日本人を棄民するかのような政策を推し進める「愛国者」こそ論理的整合性が取れていないのではないだろうか。

また、わたしはイラク人質事件において明確に「自衛隊撤退反対」を主張したが、同時に人質に対する批判にも批判を加えている。「自己責任論批判」というのが何を指すのか不明だが、事件の内容も不明のままの「自作自演説」であるとか、本来「国家行政機関」がなすべき仕事を放棄するかのような政府のスタンスは批判されて当然であろうと心得る。

ネット右翼”というのも明確な定義がないのでそのままでは議論の対象とはできないが、確かにあちらこちらで見聞きする言説にイデオロギーであるとか主張を超えた、単なる「差別」が満ち溢れているのは間違いのないことだろう。また、このような言説がある特定の宗教的な組織を起点としているという事もある(この宗教組織が唯一の起点ではない、いくつかある起点の一つにこの宗教組織があるという観測だ)。そして実は、それらの振る舞いは、新しくもなんでもなく歴史を振り返れば古今東西、至る所に見受けられる「ナショナリズム」の類型でしかない。
ここで考えて欲しいのは、非常に簡単な事だ。
「自分がその立場に立ったとしたらどうか」

自分が、ある団体に所属していた。その団体の構成員が自分では預かり知らぬところで犯罪行為を為した、果たして自分はこの犯罪行為に対して責めを負うべきだろうか。


*1:わたしの誤認、日韓合作映画との指摘をいただきました

*2:確かに当時も今も、警察機構がポンコツなのは変わりないが、今回、特定失踪者とされた中にも日本国内に留まっていたヒトは居ただろう。警察が「事件」と認知しなかったという問題と、「当時の風潮」とはもっと慎重であるべきではないのか

*3:この件に関しては日本と北朝鮮の政府が拉致被害者及びその家族に対して、両国の自由往来を保証する、それも外交官特権に準ずるような優遇措置をとると言う事が次善の策のような気がしてならない。そしてそれが彼等、拉致被害者とその家族を尊重する事に繋がるだろうと思える。これに対する反論はすぐに思いつくが、その反論に対する反論もすぐに思いつく