へんな議論

http://mitsu.cocolog-nifty.com/blog/2004/04/post_15.html

でも、おいらは双方に反対。そもそもこの「自己責任」と対を成すのは「他の責任」であるからです。

 では今回「他の責任」が何をさすかといえば「他=自衛隊」ですね。犯人そして被害者家族とその支援者は、異口同音に「誘拐事件は自衛隊の派遣が原因」といってきました。

責任には権限が対になってあるとみなせばこのような混乱は起きない。
単なる「事件」を政治的な問題に引き上げたのは政府の過剰な反応に有ったのではないのか?この「他=自衛隊」という等号も、「人質事件」という「事件」の対立項に「自衛隊派遣」という「政治的判断」を置くという過ちに嵌っている。

被害者家族が政府の役人に「自衛隊をすぐ撤退させろ」と怒鳴り散らかす姿は、”普通の”被害者家族のそれとは全く違う印象を与えました。

わたしが記憶している範囲では外務省の担当者が「普通はこのような対応はしない」という返答をしたのに対して、高遠弟が「普通とはナンなんですか、政府の見解はこの事態が普通なんですか」といったようなものだった筈で「自衛隊をすぐ撤退させろ」と政府の役人を怒鳴り散らかす姿というのは見ていない。
そんなシーンが有ったのだろうか?
よしんば、そのようなシーンが有ったにしても、家族を人質に取られている者の感情的な発言を捉えてそれを批判しても有効な議論には結びつかないだろう。
つまり、日本政府に対して人質をとって要求を出せば、どのような政治的目的も達成されるというような前例を作れば、今後も同様の事件が続発する恐れがあり。今回は幸いにも命が助かったものの何時までもその僥倖が続くという保証も無い。つまり、政治的問題と人質事件という犯罪は切り分けて捉えて、政治的問題を関連付けないような冷静で合目的的な知性を持たないと、却って事件を誘発する事になるのだ。
この論議ではその続発にまだ道を開けている。