愛すべきキャラクター

イラク人質事件でなんだか「陰謀論」を想像するヒトが
「犯行当日に危険地帯「アリババ街道」で日本人見た」
http://www.tv-asahi.co.jp/ann/special/iraq/contents/400/0320/news/
これとか
自衛隊アラビア語教える キデル・ディアさん」
http://www.sankei.co.jp/news/040425/sha053.htm
これを引用している例が見受けられる。
実は週刊文春(!)がこのキデル・ディアさんを詳しく取り上げている。まあ、それをすべて鵜呑みにするわけではないが、このキデル・ディアさんというヒトは中々興味深く愛すべきキャラクターであるようだ。ここでは「恣意的な引用」とされないように全体を引用させていただく。(問題があればご一報願いたい)

電波少年的」イラク人コーディネーターの正体

週刊文春 2004.4.29/5.6
 「日本人のみなに、オメデトウゴザイマース」
 なぜか人質解放の現場に立ち会うバンザイ男。高遠さんと一緒に涙を流し、通訳にしてはあまり上手くない日本語で実況するのは、日本テレビに独占スクープ映像をもたらしたキデル・ディア氏(36)。彼っていったい何者なのか?

 日本中を震撼させた人質事件は、ディア氏の立ち会いでかつての日テレの看板番組『電波少年』風の感動的結末を迎え、翌日には朝日新聞も、「身代わりに私を人質に」という彼の談話を紹介してディア氏の活躍を美談調で伝えた。
 実は、在日六年のディア氏は、イラク戦争を機に日テレや朝日新聞で時給八千円の通訳業務をゲットし、時々、日テレの社員食堂で焼き魚定食を食べる姿を目撃されていた(ちなみに朝日は時給七千円)。今回、たまたま里帰りしていた彼が、日テレに電話をしたのは、四月十五日の午後七時すぎ。「これから日本人と会うことができます」
 この時のスタッフの反応は哀しいかな、「何、言ってんだか」というものだった。
 午後八時十分、彼は再び電話をかけてきた。
「今、日本人三人が私の目の前で水を飲んでいます」
 その瞬間、報道局内は「本当なのか!」と騒然となったという。すぐに速報を打とうとした矢先、NHKが先を越して第一報を報道。各局が次々とアルジャジーラのニュースを流し始めた。「バグダッドに日テレのスタッフがいなかったため、ディアさんはすぐに映像を送れなかったのです。そこで外国のテレビ局に持ち込ませ、二百万円近い電送料をぼったくられて、何とか映像を送ることができました」(日テレ関係者)
 一方、バグダッドではディア氏に記者たちが群がっていた。しかし、彼は「日テレから一千万円で請け負った仕事だから話せない」と言って、謎めいた言葉だけを残した。
「私の身元を明かすことはできない。私は命を狙われている。秘密を知りすぎていて危険なのです」
 しかし、解放を仲介した聖職者協会のクベイシ師はこう明かしている。
「私が日本人を引き取りに行く三十分前に、ディアという男が初めて訪ねてきて、『なにか情報はないですか?』と聞いてきた。私が『お前、日本語ができるか?』と聞いたら、『はい』と答えるので連れていったのだ」
 偶然だったのだ。ディア氏の知人が呆れる。
「だいたい犯行グループがディアの身元を知り得るわけがないじゃないですか。彼は目立ちたがり屋で、いつも話が映画のように壮大なスケールになるんです」
 もともと就学ビザで来日した彼は、東京の多摩センター近くで新聞配達をした後、韓国人が経営する新宿の寿司屋で働いた。その頃から彼は大物トークを見せていたという。例えば。
「飛行機の揺れがひどくて、台湾に寄ったかと思うと、中国に揺れる。俺はコックピットに行って、操縦士に『いつ資格を取ったんだ』と説教してやったんだ」
 こんな話しもある。
「ディアは家族にバアス党の党員がいると言っていて、『イラクで気に入らないヤツがいたから、秘密警察に言ってボコボコにしてやった』と、権力に近いことを自慢する。実際彼は駐日イラク大使館にいたフセインの秘密警察“ムハバラット”のメンバーと親しく、『いすれ自分は一等書記官になる予定だ』と嘯いていましたね」(別の友人)フセイン肖像画を飾り、戦争中は大使館に寝泊りしていたディア氏。しかし戦争が終わると、「ブッシュ大統領への感謝状」という署名に進んでサインする豹変ぶりだったとか。
 一方、日テレなど仕事先ではすこぶる評判がいい。「彼はピュアで、心が優しく、誰からも好かれています」こうした一面のおかげで彼は狼少年にならずにすんだのだろう。今回の大スクープで、彼は日テレ会長賞を受賞するという。