議論パターン
はてなのおかずを見ていたら今更ながら翔ソフトウェアの「議論パターン」が出ていて驚いた。
内容については確かに良くできていて、例えば仕事などでミーティングを意味あるものにする為には有効だろう*1。しかし例えば掲示板であるとかこのブログ界隈での議論に援用しようとすると、これにも以前触れた「議論のしかた」と同様の抜けがある。
結論を先に言うならば(1)前提について触れられていない。(2)帰着点が明確でない。ということになる。この「議論のパターン」は多分社内会議などを前提に考えられているのではないかと思われる。社内会議であるとか特定の学会やら関係各社を集めたミーティングという事になれば、そこで取り上げられている議題は明確であり、その議題に対する前提知識の共有もされているものと考えて十分だろう。なのでこの「議論パターン」には前提条件が触れられていない*2。
またその様な場では比較的価値観も共通化されているので、問題点の明確化が為されれば異なる主張のどちらを取るべきかといった選択も容易ではある*3。であるので「議論パターン」には相異なる価値観を持ったもの同士の議論の決着点が明確には述べられていない。
ここで立花隆の『論駁』から引用してみよう。
「論争は、双方の議論が噛み合ってこそ意味がある。Aがある議論を立て、Bがそれに反論したら、Aはその反論を受け入れて自分の誤りを認めるか、それとも、Bに対して再反論するかしなければならない。一部誤りを認め、一部反駁するという手もある。さらに議論をつづけるときは、誤りを認めるなどして合意された論点についてはそこでさておき、まだ合意ができない論点に双方議論を集中して、お互いに相手を論駁すべく格闘する。
論争がそうして正しい形でつづけられてゆけば、論争はついに両者が合意するところまで行きついて終わるか、それとも論点をギリギリ論証も論駁も不可能な地点まで煮詰めることによって(すなわち主観の相違への帰着とか、相異なるプロトコル命題への帰着など)、お互いに『合意できない事に合意する』かである。」
(まったく蛇足だがこの主張の背景等についてはこちらでも見ていただきたい。)
つまり、前提として。
「双方の議論が噛み合ってこそ意味がある」
すなわち、用語は統一されているか(されていないとしたら、されない理由から詰める必要がある)。論点は食い違っていないかなどを確認する必要がある。
そして議論は常に合意には至らない。
1.主観の相違への帰着
2.相異なるプロトコル命題への帰着
3.など*4
そしてここに至っては、それ以上の議論は不毛となる。