責任を取るということ

http://vinst.way-nifty.com/blog/2004/04/post_37.html
個人が「責任を取る」という事は、つまり死んでしまったとしても誰にも文句を言わない。ということなんじゃないかな*1
今回の場合は人質になって、更に犯行グループが身代金などではなくて政策に注文をつけてきたということで、非常にややこしい状況になっているのだと思うんだけど。彼等3人が流れ弾に当たってしんでしまったのだとしたら。状況はハッキリする。それをもって「自衛隊派兵が誤りだった」という主張をするヒトは居るだろうが、誰が見てもこの仮定としての彼らの犠牲と国の政策には乖離がある。(わたしは政策と事件を繋げてはいけないという主張はずっと続けている)
また、外務省やら国(国家行政機関)が「迷惑をかけられた」という事なんだがその責は彼等に帰せるものだろうか。直接的には犯罪なのであり、それに対応するのは行政としての当たり前の事なんじゃないかな。
また、「ヨルダンの日本大使館とも全く連絡を取っていなかったようですし」というのはどうなんだろうか?
昨日引用した森哲志のレポートにもバックパッカーが入っていっているという事例が紹介されている。よしんばヨルダンの日本大使館に報告に行っても「ああ、そうですか。気をつけてくださいね」といわれるのがオチなんじゃないんだろうかね?
「危険なところへのこのこ出かけた」という言葉が後付けで出回っているけど、昨日の首相のメールマガジンにもあるように、そろそろ復興支援で皆イラクに手を貸しましょう。という流れになってきていたようだ。バグダット・エキスポも予定されていたんだしね。
また、地域的に危険だった。ルートに誤りがあったという指摘もあるけど、そうなんだろうか?同時に韓国の宗教家も同じルートを使っていたわけだよね。この辺りは現場の状況を把握しない限りハッキリした事は言えない(彼等(この韓国の宗教家も含めて)がハイウェイ(といっても日本のような閉鎖的なものではないそうだけど)を降りたのは米軍が閉鎖をしていたのじゃないかな)。
とにかく、国家行政機関の持つべき責任と、彼らの自己責任を切り分けない議論は不毛だろうと思う。


*1:死んだら文句も言えないか。死んでも化けて出ませんよということか?